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80年代終わりからのクイーンに関する回想

フレディ・マーキュリーの死をリアルタイムで知らなかった俺

1991年11月末ごろ、バイト中に当時の仲間が俺にこう言ってきた。「フレディ・マーキュリーってエイズだったんだね」

俺は心の中で「は?なに言ってんの?」と思いながらも「そうなの!?」と聞き返した。さらに彼は「だから死んじゃうんだよ」と続けたが、俺は何言ってんだこいつと聞き流しその場は終わった。

さらに数日経って深夜のテレビで1週間の出来事みたいなことを振り返っていた時に、フレディの死を挙げていた。俺はそれを聞いてびっくりし、深夜にも関わらず友達に電話し、まだ起きていた弟にも「フレディ・マーキュリーが死んじゃったってよ!」と言った。どちらも「え、知らなかったの?」という反応だった。

いまのようにネットなんかない時代の出来事とはいえ、なぜ俺は数日間知らなかったのだろう、いま考えても不思議だ。テレビ嫌いでもなかったのに。

ザ・ミラクル

時は遡り1989年。レンタルCD屋に行ったらクイーンの新譜『ザ・ミラクル』があったので借りてみた。ただ、その時点ではさほど期待はしていなかった。

80年代になり、MTVが主流となってからクイーンは『ザ・ワークス』や『ア・カインド・オブ・マジック』といったアルバムをリリースしていたものの俺の周りではすっかり人気は下火となっていた。『グレイテスト・ヒッツ』の方が何倍もかっこいい曲が入っているし、PV見るならデュラン・デュランとかマイケル・ジャクソンを見たほうが面白かったし、何よりもその頃のクイーンは、中学生高校生の自分の目には「おっさん」にしか見えなかった。たぶん、フレディのルックスが原因だったと思うが。

そんな時期を通り越してリリースされた『ザ・ミラクル』。

その頃のロッキング・オンに掲載された翻訳された海外記事(だったと思う)でも「クイーン?クイーンズなんとか(クイーンズライクのことかと)のことじゃなくて?」みたいな一文があって、アメリカでもクイーンは時代遅れ扱いされていたようだ。

ところが、このアルバムがとても良かった。ハードロックの要素を前面に出しつつもポップさも持ち合わせたバランスの良さ、そして何よりも力強さを感じた。まだまだこんな良いアルバム作れるんじゃん!なんて思い、録音したテープを何度も何度も聴いた。

そして「よし、次来日したら絶対見に行こう」、そう決めていた。

Queen / The Miracle
クイーンのPVで最も好きなのがこれ。子供たちがメンバーの特徴をよく捉えていて良い。

イニュエンドウ

1991年始め、クイーンのニュー・アルバムがリリースされた。なんでもタイトル曲は「ボヘミアン・ラプソディ」を彷彿とさせる大曲だと話題であったが、俺はそこにはあまり惹かれなかった。二番煎じなんていらないでしょって思っていたので。

むしろアルバム全体に感じた重さのほうが気になっていて、俺のイメージするブリティッシュ・ロックのような趣も感じられたが、きっちりと完結しすぎていると思った。ラストは「ショウ・マスト・ゴー・オン」なんてタイトルだし。それと、スティーヴ・ハウがゲストで参加しているというのも、これまでのクイーンには無かったななんて思ったりもした。

『ザ・ミラクル』ほど聴きこまなかったが、当時アナログ盤も買っていた。ちなみに、アナログは何曲かはエディットされていて、CDよりも収録時間が短い。そしてあの白いジャケットにシミができてしまったが、今も所有している。

Queen / Innuendo アナログレコード

フレディ・マーキュリー追悼コンサート

そして冒頭の話に戻るが、フレディの死を約1週間遅れて知った俺はやはりショックだった。クイーンのアルバムを聴きまくって、その1か月ぐらい前にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ・Ⅱ』も買った。

よくよく考えると、『グレイテスト・ヒッツ・Ⅱ』は『イニュエンドウ』からわずか8か月後にリリースって変なタイミングだよな、早すぎやしないかと思っていたの覚えている。ロッキング・オンの裏表紙に広告があって「これもまた極み!」みたいな宣伝文句がでかでかと書かれていた。

年が明けて1992年、クイーンの残ったメンバーは4月に「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」を行うと発表し、第1部は様々なバンドによるパフォーマンス、そして第2部がクイーンという構成で開催された。数か月遅れてWOWOWで放送し、6時間という番組だったのでビデオテープを3倍速にして録画した。

第1部はメタリカで幕を開け、エクストリーム、デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼスなどによるライヴ、そして間にPVを挟みながら第2部クイーンのライヴがスタート。1曲目は「タイ・ユア・マザー・ダウン」で、ブライアン・メイがヴォーカルをとっていて、改めてフレディがこの世にいないことを認識させられて悲しくなった。

そしてポール・ヤングのヴォーカルで歌われた「Radio Ga Ga」を見て、そうだ俺は結局クイーンのライヴを見ることなく終わってしまったのか、「Radio Ga Ga」のあの手拍子やりたかったなと、そんなことを思っていた。

Radio Ga Ga PVより

ブライアン・メイのソロと『メイド・イン・ヘヴン』

「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」で印象に残ったことのひとつに、ブライアン・メイが歌った「Too Much Love Will Kill You」という曲だった。もともとは『ザ・ミラクル』の時に存在していた曲だったらしいが、共作者との関係でアルバムには収録されていなかったらしい。

この曲を含む、ブライアン・メイのソロ・アルバム『バック・トゥ・ザ・ライト』は当時かなり気に入っていたものの、来日公演には行かなかった。クイーンじゃないしなという理由で。コージー・パウエルがドラムだったんで、もったいないことしたとは思うが。

そして1995年には『メイド・イン・ヘヴン』がリリース。フレディの新たなヴォーカル曲が聴けることが嬉しかった。「Too Much Love Will Kill You」もフレディのヴォーカルで歌われているが、最初に聴いてしまったブライアンの方が好きだったかもしれない。

この辺りで俺のクイーン探究は一段落した。俺はフレディ存命時にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ』と『グレイテスト・ヒッツ・Ⅱ』しか認めていないので、これ以降に出るベスト盤には興味がなかったし今もない。だってこの2枚のベスト盤を超えるベスト盤なんて作れるはずがないと思っている。数あるロックのベスト盤の中でも完璧なベスト盤だ。

クイーン+ポール・ロジャースでやり残したことを回収できた

クイーンとポール・ロジャースが一緒に活動ってどういうこと?当時はそう思った。フリーやバッド・カンパニーというロックの歴史にも残るグループのヴォーカリストがクイーンの曲を歌う?最初は懐疑的だった。

だけど、2005年10月に来日公演があり、どういうきっかけだったか覚えていないけど、行くことになった。もうこの頃になるとヴォーカルが違うじゃんとか、そんなことはどうでもよかった。「クイーン+ポール・ロジャース」ではあるが、クイーンの名義を使ったライヴが見られることはもちろんだが、何よりも「Radio Ga Ga」の手拍子をついに、ライヴ会場でやれたことが感無量だった。ライヴの場でやりたかったんだよ俺は。これでクイーンで思い残すことはないと思った。

「よし、次来日したら絶対見に行こう」と思った時から15年余り。ちゃんと見に行ったよ。これだけは俺の数少ない有言実行かも(誰に宣言したわけでもないが)。

クイーン+ポール・ロジャース、パンフレットとチケット半券。

おわりに

『フラッシュ・ゴードン』以外はすべてのアルバムを聴いているが、だからといって俺は熱心なクイーンのファンではないと思う。ただ、小学生のころにはすでに彼らの存在を知っていて、『グレイテスト・ヒッツ』で夢中になり、80年代は中だるみしながらもチェックし続けてきた。

自分の年代で洋楽を聴いていた者であれば、そのほとんどが通ったバンドじゃないだろうか。いまでもたまに無性に聴きたくなるし、よくよく聴くと変な音楽なのに大衆性も持ち合わせていて、クイーンこそ唯一無二という言葉が相応しいバンドはいないだろう。

『ザ・ミラクル』と『イニュエンドウ』はどちらも後期の傑作だと思っていて、この2枚からはフレディの生きることへの執着や希望がものすごく感じられる。だからだんだんと身体が弱っていったにも関わらず、アルバムは力強く感じるし、後者は重苦しさも漂うけど前向きな印象を受けている。


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