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新しくない「新しく生活様式」ということば

毎年、6月下旬に蒸し暑い梅雨の中休みがあって、その後大雨が続き、「山笠」が終わると、梅雨が明ける福岡です。今日は大雨。七夕まではずっと雨の予報です。
コロナ対策の自粛ムードが、遠い昔のような気持ちになったり、その一方でマスクを常時つけた生活が日常になったり、なんだか不思議な感覚です。そんな中、「ニューノーマル」だとか「新しい生活様式」ということが、何かする際の枕詞になっています。どうもぼくには、しっくり来ません。「上から目線」という言葉は適切でありませんが、誰かから自分自身のライフスタイルをどうだこうだ決められるのって、どうなのでしょう?同様に、「ていねいなくらし」という、一見好印象なことばも、「じゃあ何と比べて丁寧なんだ?」、「共稼ぎで片付いてないリビング、平日疲れて週末にまとめて洗濯をするのはていねいじゃないのか?(まとめて洗ったほうが、水も電気も節約できますが。。。)」なんて思ったりもします。
オリンピックが延期(というか、もう事実上の中止ですよね)になった2020年、もしかしたら過去にも同じようなことがあったのでは?なんてことを鬱々と思いながら、とある直売所で、急ごしらえのビニールシートに覆われたレジ台に、「新生活運動の香典袋あります」と書いてありました。「コロナ対策で参列できない方向けのメッセージが入れられる香典袋?」なんて思ったわけですが、福岡のとある田舎の、小さな直売所が、そんな新しいことなんで、地域おこし協力隊とかJCが、ジャストアイデアではじめたのか?そんなことはないだろうと、レジの方に聞いてみることにしました。そうすると、「滅多に出ないのですが、たまに聞かれるから置いてるんです。香典返し不要で、1000円とか2000円入れるんです。昔・・・戦後すぐくらいの習慣だと思うんですけど。。。」と教えて下さいました。そう、歴史は繰り返していたんですね。もっと知ってみたくなって、ウィキペディアを検索するも、出てこないじゃないですか。googleで検索すると、浄土宗の辞典にありました。

ということだそうです。
もう少し体系的にまとまったものはないのか?と、探してみますと、1冊だけ書籍(論文)がありました。

唯一の「新生活運動」の研究書でした。新生活運動には3つのポイントがあったそうです。
・片山哲内閣が1947年に「新生活国民運動」を呼びかけ、敗戦からの「新日本国家建設」をそれぞれの生活の場で実践することを目的とし、のちに読売新聞社が全国の「新生活モデル」表彰を開始した。
・1952年に財界4団体が「新生活運動に関する共同声明」を発し、翌年「新生活運動の会」が作られ、家族計画を組み込んだ新生活運動が厚生省の人口問題研究会を中心としてはじまった。
・文部省の社会教育審議会の諮問・答申を経て、1955年に鳩山首相の提唱で、「新生活運動協会」が発足、「真の民主主義の確立と国家の再建」を掲げ、戦後の「過剰な自由への批判」と「封建制打破」による「公衆道徳高揚」をめざした。
東京オリンピック前後の世界へ戦後復興「きれいな国・日本」をアピールしたい(花いっぱい運動や、地域一斉の清掃活動もここから)ということや、自主憲法制定をめざしていた鳩山内閣・・・なんだか2020年と重なることが多いじゃないですか。。。
コロナ以前からあった、「もやもや感」は、この「新生活運動」がいったい何だったのか?ということを、ひとづつつ紐解いていくと、解消というか、モヤモヤの根源にたどり着くような気がします。これからこの文献を読んでいきますが、ざっと目次とキーワードを読んで感じたのは、瀧本哲史さんがおっしゃっていた言葉を少し借りると、戦後を作ってきた人・戦後からの仕組みに乗っかってきた人が退場しない限り、延々と続くのでしょう。その延長線上にあるのが、「ていねいなくらし」ということへの違和感。
どうでもいいような、どうでもよくないことを、どうにもならないお天気の中、もやもやと思うわけですが。。。東日本大震災の際に、一部盛り上がった「江戸しぐさ」も、似たような背景ですね。

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