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結局、外に出てしまう生き物だから

買い物へ行って帰ってきて、少し休むと、自分が生きている実感が湧いてくる。やっぱりずっと部屋に引きこもった状態じゃいけないな、と反省。仕事が仕事だから、食料が許すかぎりは、アパートから一歩も出ずに生活することができる。そのくせ、ものぐさで出不精だからか、つい油断すると引きこもりがちになってしまう。

こりゃアカンということで、必要なものを書き出して、久しぶりに買い物へ出かけた。散歩はよく行くものの、買い物は、その気にならなければやらない。もしこれでネットスーパーで買い物を済ませるようになったら、本気で一歩も外に出なくなるんだろうか? いや、そうでもなさそうだ。結局のところ、僕らはやっぱり外に出たがるんだと思う。

引きこもりっていうのは、家族がいて、何かしら外部の刺激がある人が、引きこもっているだけなんじゃないだろうか。僕も実家にいたら、きっと今以上に外に出ないかもしれない。しかし、歳も歳だしな。少し執筆作業を続けていると、背中がつらくなってきたので、本格的に運動をなにかしないといけないかしら、と危機感は覚えている。

でも、どんな人だってそうだと思うけど、危機感っていうのは本気にならないと無理だ。今はまだ何か病気になっているわけでも怪我しているわけでもないし、「まあ大丈夫か」と自分に甘くなってしまう。この点、自己管理がしっかりしていて、自分に厳しくできる人はすごいなぁと、本気で思う。そのモチベーションややる気は、いったいどこから湧いてくるんだろうか。

僕は出来るなら世の中のいっさいがっさいをサボってしまいたい。もしいま、誰か神様みたいな人が「もう働かなくていいですよ。毎月生きていけるだけのお金を振り込みますよ」と言ってくれたなら、きっとずっと働かなくて生きていくと思う。でも、きっと何かしらはする。ずっと寝ていたり、ゴロゴロしているだけじゃない。絵を描くだろうし、本だって読むし、こうして日記みたいなものを綴ったりするだろう。

思うに、人はまったく何もしないではいられないんじゃないだろうか。僕は人間の性善説のようなものを信じているけど、それと同じくらい、人間の「何かしらしてしまう生産説」も信じている。それは別に、経済社会において利益になるものじゃないだろうけど、そもそも人って、生まれたときから経済社会の歯車なわけじゃないんだから、むしろそっちのほうが自然なんじゃないの? なんてことをぐるぐると頭の中でジャグリングしているのだ。

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