見出し画像

学生時代のヨーロッパ旅行(その七、アイルランド)

40年前の北アイルランドは、IRAにより攻撃されている、半分戦争状態にある物騒な場所でした。今もってアイルランドの問題はよく分かっていないので、20歳の時に足を踏み入れたベルファストの街とアイルランドとの国境線、そしてアイルランドから船でフランスに渡るまでのことを書きます。

人の気配のないベルファスト

スコットランドから、フェリーで直接ベルファストの港に入りました。この時の船旅は2時間程度のごく短いものだったと記憶しています。

港からすぐにベルファストとの街中に入りましたが、ここはロンドンやエジンバラとは全く異なりました。街中で商業活動という雰囲気が全く感じられないのです。商店街らしきものがあっても、電気もついておらず暗いまま。地元の人達はそれでもどこかに行き場があるのでしょうが、40年前地球の歩き方ヨーロッパ編を一冊だけ持ってこの旅行に出発した僕には、この街でどの様に過ごしたら良いか見当もつきませんでした。
そして、この街はIRAの攻撃を頻繁に受けている戦時下の状況にあるのだろうと判断し、ここには泊まらずそのままアイルランドに行くことにしました。

国境線と緑の草原

ベルファストからダブリンには、記憶が定かではありませんが列車に乗って移動したと思います。ベルファストを抜けると、北アイルランドにはもう大都市はなく、緑の草原を列車は走りました。
アイルランド島は、雨のとても多いところで、そのために草のとても育ちやすい気候なのだろうと感じました。
アイルランドを示すのに、グリーンがよく使われます。それもこの緑豊かな土地に由来するのだと考えています。

列車に乗ってダブリンに向かうわけですが、途中で国境を渡ることになります。それは、生まれて初めての経験でした。
国境の手前で一旦列車を降りて、United Kingdomからの出国手続きをします。そして、歩いて国境を渡ります。舗装された道が繋がっていますが、国境線で色が変わります。施行業者が異なるので、材料も異なるのでしょう。その線を跨ぐと、アイルランドに入ります。そしてアイルランドに入って、同じように入国の手続きをします。

飛行機に乗ると、出国する国と入国する国でそれぞれ行う手続きを、この場所では国境線の手前と越えた先でそれぞれ行なうわけです。
日本にいると経験することのない、国境線というものを初めて見ました。

そのままフランスへのフェリーに

列車はそのままダブリンに向かいましたが、戦時下の街という先入観に、もう気持ちが萎えてしまっており、そのままフェリーでフランスに向かうことにし、ダブリンには一泊もせずに通り抜けました。駅前で街の様子を一目見ただけだったように思います。やはりグレーの重苦しい街というイメージでした。

ユーレイルユースパスは、このアイルランド/フランス間のフェリーから使い始めることになります。有効期間は2ヶ月ありますので、ここからはこれだけの日数をかけて、できるだけヨーロッパの列車を使って移動しようと考えました。

英仏海峡は大嵐

このアイルランド/フランス間のフェリーは、約一日の行程の船旅でした。夕方船が出港、大西洋に乗り出します。本格的な海の船の旅というのは、これが初めてでした。(よく考えると、これ以降一度もこんな外洋の船旅をしていません。)
船は一泊ですので、客室に泊まることもできますが、安いチケットの場合は、キャビンにそのままごろ寝するわけです。僕はもちろんバックパッカーでしたので、キャビンで横になりました。

ところが生憎、この夜は大西洋に嵐が来ていました。そのような状態の船というのはとても恐ろしいものです。水平線がゆっくりと上下に動きます。それは船が波に揺れるサイクルに合わせたゆったりしたものですが、そのために平衡感覚が狂ってしまうのでしょうね、とても気分が悪くなります。幸い、吐くところまで悪化はしませんでしたが、とてもではないが熟睡できる状態ではありませんでした。

翌日、船はシェルブールに着きました。戦争の気配の濃い、湿度の高い緑の国から、温暖で気候の良いフランスに着いて、とても気分が明るくなったことを覚えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?