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【福建の旅】金門

福建の旅の最後は、中華民国の金門島でした。来る時には飛行機の遅延で素通りしてしまった金門島に、帰りは一泊だけすることができました。

翟山坑道

金門島で宿に荷物を預けた後,すぐに街の中心部に出てツーリストインフォメーションを探しました。そこでいくつかの観光スポットから、翟山坑道のミニツアーに参加するのが時間的にちょうど良いと勧められてそこに行くことにしました。
これは金門島が軍事的な最前線であった時の坑道の一部を観光用に開放したものです。金門島のいくつかの行政施設を地下深く掘った坑道で繋ぎ、戦争になった場合の連絡網を確保するわけです。
坑道の中には通路だけでなく、生活をするスペースも設けられ、聞くところによると、位の高い将官にになると、この場所で生活する訓練も課されるそうです。こんな暗くてジメジメしたところで暮らすのは大変なことだと思います。

古寧頭戦史館

その後続けて金門島の戦争の歴史を紹介する古寧頭戦史館を訪ねました。ここでは、この地で行われた中華民国と大陸中国の戦いの様子を詳しく説明していました。
途中の海岸にはたくさんの戦車が並んで置かれていました。

金門老街

金門の老街は宿泊したその夜と、翌日の早朝歩いてみました。
この街は、想像していたよりもたくさんの歴史的建造物が残っていました。昔の台北城はこのような街並みだったのではないかと、過去の様子を彷彿とさせる佇まいです。清朝はこの場所を直接統治する価値のある場所と考えていたのだと、感じることができます。

鄭成功廟

ここにも鄭成功ゆかりの建物がありました。福建のこの地域では、鄭成功の名声は圧倒的なものなのですね。それは、中国・台湾共にそうです。金門で見たこの廟も台湾でも屈指の規模だと思います。

金門は台湾ではない

金門で現地の人と話したとき、感じた印象があります。それは彼らは台湾を海の向こうの自分たちにとっては別の土地と考えているということです。言葉の端々に、台湾人を相対化して、自分たちを金門人あるいは福建人と考えているように見受けられます。
これは、金門の歴史を考えると仕方ありません。この土地は日本人に統治されたこともなく、その時代はずっと中華民国の福建省の一地域でした。その後中華民国になってからも、台湾の土地は台湾省でしたが、金門は福建省とされています。そして、それは今もってそうなのです。ですので、彼らは中華民国人ではあっても台湾人ではありません。歴史的にも法律的にもです。

それに、大陸の福建省との関わりで興味深いことを聞きました。金門には土地が狭いために、水道水が足りないのだそうです。なので観光業を振興させようとしても、水源がないと大規模なホテルなど建てようがない。そのために現在金門島では、水道水を大陸中国から輸入しているのだそうです。
金門島にとって大陸の厦門は本当に目と鼻の先です。観光を主とした交流も貿易も、馬英九の時代はとても盛んだったそうです。その交流が水道水の購入にまで及んでいるというのが驚きでした。
台湾の農産物を大陸の側で輸入を禁止しても、その代わりに別の輸出先を考えれば済みます。しかし、水道水の購入を禁止されてしまったら、金門島の多くの産業に支障が出てくるのは間違いありません。金門島は生活の基本の首根っこを押さえられてしまっているのです。

福建の旅を終えて

2018年の3月に、このような二週間の福建の旅をしてきました。台湾と密接な関係にある中国の対岸の地域。多くの台湾のルーツを備え持っている土地。そのことは否定できません。歴史文化的な交流を図ると、台湾と中国は多くの共通点を持つことができます。

しかし、現在両国の関係が冷え切って、友好的な雰囲気は感じられなくなってきています。日本人としても、今のタイミングではこのような自由な旅行は中国では危険に思います。4年前にこの様に中国・福建の様子を見ることができたのは、とてもラッキーなことだったと考えています。

坑道の中の様子
古寧頭戦史館の説明
ここは国民党軍の戦績を顕彰する施設です
厦門に面して立つ商家の建物がぼろぼろに破壊されています
こんなところにも石敢當を発見
金門島は牡蠣の産地でもあるそうです
海に向かって戦車が並んでいます
軍事施設に残っていた標語集
清金門鎮総兵署
牌樓
海の内側に湖のように作られています
鄭成功廟
浯島とあるのは金門島のことなのですね
昔の建物が、現代のビルを背景に残っています。
可愛い猫がこちらを見ていました

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