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学生時代のヨーロッパ旅行(その十五、フランス)

フランスには友達が2人いたので、パリでの滞在の後彼らを訪ねて行きました。1人はロンシャン、1人はストラスブールの友達です。

ロンシャン訪問

Tiptreeのキャンプで初めに仲良しになった6人のうちの1人が、Magali Chapasです。彼女は、なんでも学生モデルをやっているということで、キャンプの若者たちの中では圧倒的に美しかった。身長は僕と同じくらいだったので、170cmはあったでしょう。

僕はこの美しい女性に恋をしていました。日本での学生生活では、高校は男子校、大学は建築学科で女性と接する機会のほとんどない生活を送っていました。それが、インターナショナルファームキャンプでは、ヨーロッパ各地からたくさんの国の若者がやってきて、一緒に暮らしていたわけです。日本人の僕は、珍しいアジアからの若者ということで、たくさんの友達を作ることができました。Magaliはそんな中で、最も親しく付き合っていたうちの1人でした。
ロンドンにも一緒に行って、野宿もした仲間ですので、僕がファームキャンプの後ヨーロッパ旅行をすると伝えたら、是非遊びに来てというのでお邪魔することにしていました。

Magaliの家はパリから東に離れたロンシャンという街にありました。それは、僕にとってはとても意味のある土地でした。それは、前回説明した建築家ル・コルビュジエの設計した、とてもユニークな建物のある場所だからです。
そんな2つの意味で、このロンシャン訪問は僕にとっては特別な旅でした。

カルチャーショック

友達の家を訪ねる際には週末お邪魔する様にして、その数日前には電話で連絡を入れる様にしていました。今の様にスマホでメールを入れるというわけにはいかないので、この時代どの国でも家に直接電話をかけるしかありません。Magaliの家にもパリから電話を入れて、本人と直接話してアポを取っていました。

パリからロンシャンに向かう鉄道の便はそれほど多くありませんでした。それで、この列車で何時頃着くよと伝えておきました。確かお昼には少し早い午前中に着いたと思います。ロンシャンに着くと、一息つこうと近くのカフェに入って、飲み物を注文しました。

そうしたところ、後ろから誰かが飛びついてきて、首に抱きついたのです。そして頰に軽い口づけをしました。Magaliでした。それは、それまで女性と付き合ったことのなかった僕にとっては驚天動地の出来事でした。
ヨーロッパの南部では挨拶代わりに頰にキスをするというのは、映画や本の情報で知識としては知ってはいましたが、実際に身の上に起こると、全く何をどうしたら良いのか分かりませんでした。フランス人の彼女も、イギリスにいる時の作法とフランスにいる時とでは違うのでしょう。嬉々としておしゃべりを始めました。そしてMagaliは、彼女の家に連れて行ってくれました。

フランスの家庭

このMagaliの家での様子は、フィンランドのSamiの家の時とはだいぶ異なっていました。Samiの家では、家族でもてなすと言った体で、Samiとご両親の3人と一緒に家で食事をすることがありました。それが、このフランスの家では、ご両親とは会っても簡単な挨拶をするだけで、一緒に食事をすることはありませんでした。そして、代わりにMagaliは地元の友達を3人連れてきて、簡単なホームパーティーを開いてくれました。皆20歳前後の若者なので、ワインを飲んで大騒ぎと言った具合でした。

Magaliの家は郊外の一軒家でしたので、とても造りが広く、シャワーを使わせてもらったところ、大きなバスタブがあったことが驚きでした。これまで、ファームキャンプでも、ユースホステルでもシャワーがあるだけで、バスタブはありませんでした。
まるで映画のセットの様な、タイルの床にバスタブが置いてある浴室に、とても違和感を抱いたことを覚えています。

ロンシャンの教会

翌日、朝早く起きてロンシャンの礼拝堂に向かいました。Magaliが車を運転して連れて行ってくれました。礼拝堂は、車で走って30分くらいのところにありました。

この建物は、ル・コルビュジエがコンクリートの可塑性を最大限に活かして計画した、野心的な建物です。サヴォワ邸や上野の近代美術館の様な、水平ラインを強調したデザインとは全く異なる、全体にほとんど水平ラインはないのではないかと思われるほどに対照的な、自由な造形の計画をしています。

ロンシャンの礼拝堂は、ちょっとした丘の上に建っています。とても広々としたところに建っているので、まるで丘の上に巨大な彫刻が一つ置いてある様な印象でした。街中に計画する礼拝堂では、きっとこの様な計画案にはならなかっただろうと感じました。

礼拝堂には、コンクリート壁面の間に設けられた巨大な扉をくぐって中に入ります。外観の白い建物といった印象と異なり、内部空間はとても薄暗くなっており、そこに大小様々な大きさの開口が穿たれ、ガラスが仕込まれています。壁が相当な厚さになっているのでしょう。斜めに付けられた壁面のテーパーが、ガラスからの光を映し込み明るく光っています。この壁面の様子からの、この光の効果を出すための全体計画だということが、まざまざと感じられました。通常、キリスト教の礼拝は午前中行われるので、その時間帯に太陽光が綺麗に映り込む様、この建物のレイアウトと光の壁の配置を考えているのでしょう。

この外観とインテリアの印象以外に、とても記憶に残っていることがあります。それは、礼拝がフランス語とドイツ語の二か国語を使って行われていたということです。この礼拝堂は、もともと中世に建てられたカテドラルが戦争のために破壊されたものを、再建しているのだそうです。その際に牧師先生がル・コルビュジエを設計者に指名して実現している。その様な由緒正しい歴史をもった礼拝堂であるため、わざわざドイツから多くの人達が礼拝に参加しに来ているということの様です。そのため牧師先生は、二か国語を駆使して説教を行っていたのですね。。

僕は、言葉は分からないながら、2時間ほどの礼拝に参加しました。隣にはMagaliが座っており、牧師先生の話に集中している様子でした。延べで100人ほどの参列者がいたでしょうか。厳かながら明るい雰囲気の中で、説教とミサが行われました。
薄暗い荘厳な雰囲気の礼拝堂に、側面と祭壇の上から鮮やかな光が降り注ぐ。これは、フィンランドで見た、室内が真っ白な印象のアルヴァー・アアルトの礼拝堂とは全く異なった空間でした。この礼拝堂が暗いというのは、パリやこの後行くスペイン、イタリアの礼拝堂も同じなので、逆にフィンランドの光の扱い方がヨーロッパの他の諸国と違っているのだろうと考えています。

僕は、この建物を日曜日に礼拝する際に見られたことを、とてもラッキーなことだったと考えています。建物は使われる目的があり、その目的のために建築家は知恵を絞って様々なスタディーを重ねます。それなので、このロンシャンの礼拝堂を、正に礼拝のその時に見て感じることができたのは、とても素晴らしい経験でした。建物が生きて使われているという印象を、強く持ちました。

礼拝堂の入口の設え。
左が祭壇の正面で、右側が光の壁です。
この壁の光はとても印象的でした。

土日と二泊させてもらって、ロンシャンの街を離れることになり、Magaliは僕を車で駅まで送ってくれました。彼女は、最後まで一人で僕を客人としてもてなしてくれたのだと思います。フランスの家庭では、子供が20歳にもなったら、もう大人。自分で全てを行い、親は口出しをしない。そんなスタンスなのかなと感じました。

ストラスブール

ロンシャンのさらに北方、ドイツとの国境の近くにストラスブールという街があります。ここにはDenis君という友達がおり、彼を訪ねて行きました。
Denisは、Tiptreeのキャンプでは一緒に卓球をした仲間だったので、この街でも卓球をした記憶があります。彼も、Magaliの時と同じ様に一人で僕の相手をしてくれました。これはフランス共有の家族のスタイルなのかなと感じました。

ロンシャンで、ドイツ人が礼拝に参加するのを見ましたが、このストラスブールはアルザス・ロレーヌ地方の中心都市で、フランスとドイツの間で何度も所属が変わっているという歴史を持っているそうです。
その段の歴史を、教科書で学びましたが、正にこのストラスブール(ドイツ語風に読むとシュトラスブルグ)という街での出来事なのだと感じました。

因みに、このブール/ブルグ(bourg)いう地名は"城塞/砦"を意味しており、ドイツのハンブルク、アウクスブルグなどでも使われています。スコットランドのエジンバラ(Edinburgh)の語尾も同じであり、ヨーロッパ共通の地名の語根です。

なお、これらの地名を中国語にする場合、基本的に"堡"の文字を使うのが慣例になっています。これは発音(baoと読みます)と意味が重なった、定番の使い方ですね。
 ハンブルク:漢堡
 アウクスブルク:奥格斯堡
 ストラスブール:斯特拉斯堡
 エディンバラ:愛丁堡

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