見出し画像

学生時代のヨーロッパ旅行(その六、スコットランド)

カーライルからはスコットランドに入りました。スコットランドはイギリスではないというのが、とても驚いたことです。英語で書くと、"Scotland is not England"となりこれは自明のことですが、日本語では、England が地名であり国名でもあることから、この国の実態の正確な理解を妨げている様に思います。

エディンバラへ

カーライルからは長距離バスで直接エディンバラに入りました。
この街はスコットランドの首都で、街の中央に聳えるエディンバラ城が有名です。このスコットランドの首都と言う言い方は、エディンバラはスコットランドという国の首都ですと言うことになります。イングランドの首都はロンドン、スコットランドの首都はエディンバラ。ついでに言うとウェールズの首都はカーディフ、北アイルランドの首都はベルファストになります。イギリスには4つの首都があるわけですね。連合王国ですから、首都が複数あるのも当然のことです。

40年前のこの時代に、スコットランドにはスコットランド銀行の発行したスコティッシュポンドが流通していました。イングランドポンドはスコットランドでも使えるが、スコティッシュポンドはイングランドでは使えませんでした。

エディンバラで印象的だったのは、街の中心部の高低差ですね。エディンバラの駅は、エディンバラ城のすぐ足元にあるのですが、この城は巨大な岩盤の上にあります。ですので、駅は岩盤の周りにある堀の中に入っていく様なイメージです。この様に立体的に計画されている駅は他で見たことがありません。

この街でインパクトのあった建物は、やはりエディンバラ城です。岩山の上にスックと建っている様子は、戦争のための装置というよりは、王家の威厳を示すための施設といった風情でした。建物も巨大な館といった趣で、建物の中に入るとたくさんの小部屋がありました。カーライル城などは、城の中は全くの倉庫、武器庫という様相だったので、王家の住まいとしての佇まいでしたね。

グラスゴーへのヒッチハイク

エディンバラからグラスゴーへの移動は、再度ヒッチハイクを敢行しました。スコットランドの主要都市間なので交通量も多く、すぐに乗せてくれる車が見つかるだろうと踏んだのですが、想定通りでした。高速道路の入り口で待っていたところ、直接グラスゴーまで行くという車が、すぐ停まってくれました。

この時の車はポルシェで、高速でガンガン飛ばしていきました。乗っていたのは若い男性2人でした。普段ヒッチハイクの際、運転手とはいろいろ話をするものなのですが、この時彼らの話している言葉が全く分からなかったのです。印象としてはまるでドイツ語を聞いているようでした。
それで、僕は失礼にも"Aren’t you English?"と聞いてしまったのです。君たち本当にイギリス人なの?そして、驚いたことに返事は、"Of course, we are not English, we are Scottish."でした。そして、彼らはScottish、スコットランド語を話しているのだと教えてくれました。後で調べたのですがスコットランド語というのはケルト語の要素を多分に残している古英語の様なものなのだそうです。

スコットランドは、通貨が独自に運用されているだけでなく、言語的にもイングランドとは異なる。本当に一つの国と言って良い様なところなのだとあらためて実感しました。

グラスゴーとチャールズ・レニー・マッキントッシュ

グラスゴーでの僕の目当ては、19世紀から20世紀にかけて活躍した建築家、チャールズ・レニー・マッキントッシュの建物を見学することでした。
僕は大学のゼミで、19世紀末の近代建築の運動が始まる直前の"アール・ヌーヴォー"とか"ゼツェッシオン"という建築様式のことを勉強しており、スコットランドで注目すべき建築家としてマッキントッシュのことを知っていたのです。

グラスゴーでは、グラスゴー美術学校とウィロー・ティールームズを見学しました。
グラスゴー美術学校は、歴史的建造物などではなく、その時点ではまだ普通に使われている学校の建物でした。そのため、日本の大学の建物と同じ様に、落書きがされていたり、あちらこちらに物が置いてあって、普通に使われている様子に親近感を覚えました。
ウィロー・ティールームズは、スチールによる飾りや手摺がとても繊細なデザインで設えてありました。古典主義の重厚な建物と比べて、アール・ヌーヴォー様式の一つの特徴はこの新しい建築素材としてのスチールなのだろうと感じました。

ヒルハウス見学

マッキントッシュの最も有名な作品に、ヒルハウスという邸宅があります。この建物は、グラスゴーから海沿いに1時間ほど北上した田舎にあります。それで、この訪問の際もヒッチハイクにチャレンジしてみました。

この時、僕をピックアップしてくれたのは、50代にはなろうかという老夫婦でした。普段ヒッチハイクに乗せてくれるのは若者が多いので、この時のことはよく覚えています。
何でも、この夫婦はインドに滞在していたことがあったそうなのです。それで外国人に対して比較的親近感を持っている。さらに、自分の子供たちがその時の僕と同じ様な歳だったので、僕を見つけて乗せてくれたのだそうです。
彼らは親切にも、途中でカフェに寄って、アフタヌーンティーまでご馳走してくれました。そして僕をヒルハウスまで送り届けてくれました。
こんなことがあったので、僕は日本に帰った後でも、ヒッチハイクをしている若者を見るといつも乗せる様にしています。これらの経験の恩返しをしなければなりません。

そして、見学をしたヒルハウスは、とてもセンスの良い建物でした。建築の歴史を学ぶと、このアール・ヌーヴォーの時代の後に近代建築の波がやってきて、建築形式の根本的な変更とか、装飾をなくして新しい表現するとかいう建物が現れてきます。しかしこのヒルハウスは、その一つ前の時代の建物なので構造的には伝統的な組積造で作られており、革命的という様な新しさはありません。しかし、その組積造の建物がとても品良く、美しくまとめられている。この様なデザインの建物を今作ったとしても、それは良いデザインとして受け入れられるだろう。そんな印象を持ちました。この様な、時代が経っても古びない、普遍的な美しさを持つ建物というのは、一つの理想像だと感じました。

スコットランドのユースホステル

もう一つ、スコットランドで印象に残っているのは、ユースホステルが城であったりお屋敷であったりして、歴史的建造物であろうと思われる建物だったことです。その後ヨーロッパ各地でユースホステルに泊まることになりますが、スコットランドだけ特別に豪華だった印象があります。
ただし、巨大な石造りの建物は、どこかヒヤッとしていて、温もりみたいなものはあまり感じませんでしたね。

いったんグラスゴーに戻り、スコットランドからは、フェリーで北アイルランドに向かいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?