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シンプルなもの

幼い頃、身の回りの事に興味を覚え、誰もが口にし、時には大人を困らせた言葉が、『何でなの』、『どうして』、『いいから教えて』だと思う。
いつの日からか、「そういうもの」、「昔からそうなの」という言葉での
説明を、大人や、学校の先生に説明をされ、『そんなものか。。でも。。』
と思うようになったのではないか。
私の様に、昭和という時代が濃厚に残っていた世代には、より強い印象で
これが、残っているのかもしれない。
結局、あの説明は、下の人間は、上から言われたことに、黙って素直に聞く為のものでもあるのだ。


最近、ラジオ放送番組の高橋源一郎の飛ぶ授業で紹介され、興味を持ち
読んでみたのが、『水中の哲学者たち』著者 永井玲衣。

哲学とは、辞書などによれば、語弊を恐れずにわかりやすく言えば、
「心理を探求する知的営み」などと書かれていて、一般的には、少々難しく考えてしまうもの。
「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」それを追いかけ、海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考える哲学対話。

筆者は、哲学研究と並行して、企業、神社、美術館、自治体などから、
学校へも出かけて哲学対談を行っているという。そこでは、ひとつの
テーマについて、皆が深く考える哲学対話である。
学校での子供たちは、あっという間に深い議論になり、筆者も、息を
するのも忘れて夢中になるという。
答えが出ては覆され、確実に何かか進んで、前進している。
だが、終わりの時間は来るもので、先生の終わりにしましょう。
との言葉に、生徒は、
待って!、もう少しでわかりそうだから、お願い待って!
と筆者に嘆願するという。
まさに、この国に求められている、本来の学校授業である。

筆者は言う、哲学とは意外とシンプルである。哲学とは、
「なんで?と問うこと」だからだ。
だから、学問というよりは、行為や営みと表現したほうがいいかも
しれない。
当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間。

日本という国は、この「なんで?問うこと」が、あまりにも疎かになってしまっているのではないかと思う。