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小説≪21・なっちゃんとすごしたあの夏の暑い日々・21≫

 原因は何だろう?ベットルームの壁にもたれ、窓の向こうの青空を見上げた。あおいろではなく、そらいろという表現がふさわしく思えた。すぐそこには山のようにそびえたつ、もくもくとした大きな雲ー入道雲が存在を示していた。入道雲があるってことは雨が急に降ってきて、そしてどしゃぶりになるかもしれない。ものほしざおにぶら下がっている赤色のTシャツを見た。雨に濡れたら洗いなおさないといけないな・・。もう一回洗うのはめんどくさいな・・。だけれどぼくは立ち上がろうとしなかった。チリンチリンと風鈴が音を立てはじめた。風が吹いてきた。やっぱり雨が降りそう。雨か・・。洗濯、いいや、べつにいいや。頭の中を占めるのはなっちゃんのことばかり。なっちゃんがぼくのもとを去っていった理由・・。考えた。考えた。頭がおかしくなるくらい何度も考えた。友人からの結婚式の招待状を破り捨てたから?ーー本性を出さなければぼくを見る目が変わらなかった?返事は来週末という言葉?ーー再来週が正解だった?モノの小ささにあきれた?ーー大きければ満足させてやれた?エッチの下手さに嫌気がさした?ーーうまければ、なっちゃんはまだこの腕の中にいた?ぼくが積極的に励むようになったから?ーーそれまで通りになっちゃんが主導権を握っていたらこんなことにはならなかった?・・?ーー・・?・・?ーー・・?雲を見つめた。ぼくの存在なんてあの雲に及ばない。小さな蟻にすら及ばない。ちっぽけなぼく、ちいさなちいさなぼく。誰の目にも入り誰からも目を向けられる大きな大きなあの雲の峰に比べ、ぼくがここにいることを、なっちゃんをものすごくいとおしく思っていることを誰も知らない。ぼくのような人間なんて存在する意味がない。近くの木にとまり、オーシーツクツクと次第に速度を速めて鳴いていたツクツクホウシがとつぜんそれをやめた。そして液体を長くたらしながらどこかに飛んでいった。ぼくはまるで蝉のぬけがらだ。もしくは蝉のしかばね。幼い頃、朝早くに見た蝉を思い出した。母親にむりやり起こされて、眠い目をこすりながら桜の木の前に立った。羽化中の蝉がエメラルドグリーンに変わり、そこから抜け出しやがて大空に姿を消した。後に残ったのは抜け殻。今のぼくはまさにそれ。存在する意味がない。ダストボックスに放り投げ捨てられるのがふさわしい。この部屋はダストボックスだ。生きるために必要なものは何もない、生きなきゃいけない人は誰もいない。雨がさあっと降り始めた。風鈴の舌(ぜつ)が外側に当たりけたたましく音を立てた。ベランダのコンクリートに黒いしみが一つできたと思ったら雨はあっという間に激しくなった。そうだ、Tシャツ。なっちゃんがよく着ていたぼくの赤色のTシャツ。や、もういい。だってもう、着てくれる人はいないんだから。

 部屋から這い出すきっかけになったのは、久しぶりに乗ったヘルスメーターだった。会社と自宅アパートの往復の毎日。仕事が終わればどこにもよらずに家に帰り閉じこもる。なっちゃんと暮らす前はずっとこんなふうに暮らしていた。いや、いまのほうがひどい生活をしている。あのころは食事を作るためにスーパーに出かけていた。あれを作ろう、これを作ろうと思いながら。だけれど今は何かを食べようという気力が起きない。外出する気すらない。あの坂道を一人で登り降りしたくない。かといって食事に誘ってくれる人はいないーそれはいま始まったことじゃない。食欲はわかない。それを心配してくれる人はいないーこれもいま始まったことじゃないい。数週間前に比べて体重は5キロ減った。普段はあまり見ない鏡を見た。そこには頬がげっそりこけた男がいた。あまりの変貌ぶりにびっくりした。このままじゃいけない。なっちゃんが心配する。なっちゃんに迷惑をかけたくない。冷蔵庫の上に置いてある藤のカゴに手を伸ばした。彼女の好きなシーフード味とカレー味のカップヌードルがひとつずつあった。カップラーメンなんて体に悪いからぼくが何かをつくるよ、どれだけ言っても彼女は週に一度はそれを口にした。デロンギのケトルでお湯を沸かした。ビッグカメラに2人で買いに行ったんだ・・。久しぶりにそれに触った、久しぶりにラーメンを食べた。久しぶりのラーメンに胃もたれをした。けれどそれをむりやり飲み込んだ。なっちゃんにまた会うために、なっちゃんにあたしの好きなあおいくんのままねと言われるために。


❇️読んでいただいてありがとうございます。自身の昔の経験をもとにしました。ショックなことがあり、一か月くらい魂が抜けたような生活をしていました。ものすごく辛かったけれど、こうしてネタになり昇華出来ました。過去の自分よ、ありがとう😃