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【大乗仏教】唯識派 唯識二派

六世紀の初頭にナーランダー出身の徳慧(グナマティ)は西インドのカーティアワール半島にあるヴァラビーに移り、彼の弟子である安慧(スティラマティ)に至って、この地の仏教学は最盛期を迎えたと言われます。同じ頃、ナーランダーにおいては護法(ダルマパーラ)が活動していましたが、安慧(スティラマティ)と護法(ダルマパーラ)の間には唯識説の解釈に相違がありました。

前者は阿頼耶識が最終的には否定されることで、最高の実在(光り輝く心)が個体において現成し、主観と客観とが分かれない境地へ至れるとします。

後者は阿頼耶識を実在とみなし、それが変化して主観と客観とが生じるという説をたてます。覚りを得ても阿頼耶識そのものが否定されるのではなく、その中にある煩悩の潜在力が根絶されるのみです。阿頼耶識(の種子)が変化したものとしての主観と客観は最終的にも存在することになります。

前回の記事をご覧頂いた方は、もうお分かりと存じますが、前者は「無形象唯識派」であり、後者が「有形象唯識派」です。唯識派は世親(ヴァスバンドゥ)以後、この二つの系統に分かれることになります。陳那(ディグナーガ)=法称(ダルマキールティ)の方が世親の表象主義的な認識論を発展させて「有形象唯識論」としたのに対して、安慧(スティラマティ)の方は弥勒菩薩(マイトレーヤ)以来の空の思想を背景にする唯識思想、即ち「無形象唯識論」を発展させていきました。

○無形象唯識派
原型:弥勒菩薩(マイトレーヤ)の唯識思想
構成員:グナマティ(徳慧)、スティラマティ(安慧)など

○有形象唯識派
原型:無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)の唯識思想
構成員:陳那(ディグナーガ)、護法(ダルマパーラ)、法称(ダルマキールティ)など

陳那(ディグナーガ)の初期の著作と推定される『般若経の要義』などには、弥勒菩薩(マイトレーヤ)の著作に見られるような認識機能の根源を最高実在とする思想があらわれていますが、その後、彼は経量部の影響を強く受けつつ、『唯識二十論』において世親(ヴァスバンドゥ)が展開した外界否定の理論を更に進めて『認識の対象の考察』を著わし、表象主義的な認識論を確立しました。彼は認識論的な観点から唯識を立証することに関心を注ぎ、阿頼耶識や末那識には言及していません。汚れた認識の根拠である阿頼耶識が消滅するという認識の宗教的転換は彼の立場からは問題にされません。
護法(ダルマパーラ)はこの陳那(ディグナーガ)の認識論の影響を受けていると考えられます。陳那(ディグナーガ)の認識論は法称(ダルマキールティ)によって更に精密化され、「有形象唯識論」となりました。