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【大乗仏教】中観派と唯識派の統合

後期中観派のシャーンタラクシタによって、中観派と唯識派の統合が行われ、大乗仏教の修行体系が完成していきます。

○時代背景
八世紀の中頃以後、シャーンタラクシタ、カマラシーラ、ハリバドラの三人が活躍します。十世紀末から十一世紀の初めにラトナーカラシャーンティが登場し、シャーンタラクシタの学統を継いでいます。
ラトナーカラシャーンティの著書はチベット大蔵経では瑜伽部(無形象唯識派)に分類されますが、彼は中観派と唯識派(無形象唯識派)の同一性を強調します。その思想がシャーンタラクシタと類似しており、彼は瑜伽行中観派と考えてもさしつかえないと言えます。
シャーンタラクシタは清弁(バヴィヤ)の自立論証派の系統を引くと共に、法称(ダルマキールティ)の認識論の影響を強く受けました。批判的精神を基軸として、慈悲と方便と智慧の同時的追求を説く後期中観派は、説一切有部・経量部・唯識派の哲学を一定の順序で配列し、先に並べられるものを一つ一つ学習、そして批判することで、次第に後に並べられたものに進んでゆくことを「最高の立場である中観」に至る方法と考えたのです。

○シャーンタラクシタ
シャーンタラクシタは全ての哲学体系を「主観と客観とを共に実在するとする二元論」と、「客観の存在を否定して主観のみを実在とする一元論」とに大別します。仏教の学派で言えば、説一切有部と経量部が二元論に、唯識派が一元論に属することになります。また彼は、二元論の体系を無形象知識論を説く有部と、有形象知識論の立場をとる経量部とに分け、唯識派についても、有形象唯識派と無形象唯識派とに分けます。そこから、シャーンタラクシタは、有部・経量部・有形象唯識派・無形象唯識派のいずれの学派も、中観派の批判に耐えることのできないことを示します。
その批判の原理はただ一つ、「全てのものは単一性と複数性という矛盾する二つの性格をもつ」ということです。全てのものは、そのために最高の真実として存在すると言えない、即ち物質(客観)と同じように心(主観)も実在ではない、即ち、この境地に至って、龍樹(ナーガルジュナ)が主張したように全てのものが本体を持たず、空であるという中観の真理が確立されるということです。

○全てのものは矛盾する二つの性格をもつ
量子論において、万物には粒子性(1か所に存在する)と波動性(様々に拡がっている)という矛盾する二つの性格があることが説明されます。

そういう意味では、量子論の思想に似ているのは唯識思想よりも中観思想であると言えるかも知れません。龍樹(ナーガルジュナ)やシャーンタラクシタにとって、電子などの素粒子は「最高の立場」として実在しないことになるでしょう。

○実践面における両派の統合
シャーンタラクシタが中観派と唯識派を統合したということは理論的な領域においてだけなされたのではなく、実践においては更に完全に行われました。初期・中期の中観派も『華厳経』で説かれる「菩薩十地」のヨーガ方法を無視していたわけではなく、龍樹(ナーガルジュナ)も十地のヨーガを推奨しており、更に月称(チャンドラキールティ)は十地の説明に沿って中観哲学を解明しています。しかし、後期中観派においては、十地をはじめとし、瑜伽行派が体系化し、実践してきたヨーガがほぼ全面的に受け入れられ、中観派そのものの実践となったのです。菩薩十地についてはまた改めてお話します。