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【大乗仏教】菩薩十地

上記の記事の続きになります。

「華厳経」では、仏の神通力を受けた金剛蔵菩薩による十地の説示がはじまります。十地とは菩薩の最高の道であり、中観派・唯識派ともに重要視しました。シャーンタラクシタによって、大乗仏教の五位に取り込まれていきます。

①歓喜地

凡夫の世界(の見解)を離れることで、菩薩の位に入り、仏の家に生まれる(仏の子である仏子となる)ことによって得られる歓喜に溢れた境地です。歓喜地に安住すると、十大願を発して心を他に移すことはありません。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第一地は歓喜と言われる。菩薩が歓喜するから。なぜなら、三種の結縛(疑惑・有身見・戒禁取見)を断って如来の種姓として生まれるからである。その報いとして、完全な徳である施しに優れ、百の世界が震動し、贍部洲の大自在者となるであろう。

②離垢地

主に戒律「十善道」を遵守して三業(口・身・意)の汚れを浄化させる境地です。十種の真実心を起こし、十善道を修して自利・利他を満足します。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第二地は離垢と言われる。身・口・意における十種の行い(業)は全て穢れがないからである。なぜなら、自然にそれらの戒めを固く守るからである。その報いとして、完全な徳である戒めに優れ、栄光ある七大宝の主として世界を利益する転輪聖王となるであろう。

③発光地

凡夫の執着を離れた視点にて現象界の真実相を観察し、真の同情心を起こし、苦海に沈む衆生を救うための救法に努める境地です。十種の深心を身に付け、四禅・四無色定・五神通を成就して自由自在にこれらの境地へ出入りできるようになりますが、これはあくまで自利でなく生類の教化のためです。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第三地は発光と言われる。寂静なる智慧の光が生じるから。なぜなら、禅定と神通を生じ、また貪欲と瞋恚が滅尽するからである。その報いとして、忍辱と努力とを特に修めて、三十三天の大自在神となり、巧みに欲界の貪欲を断つであろう。

④焔慧地

真実智の輝きが盛んになる境地です。この境地に達すると、三十七菩提分を修し、厭・離・滅・廻向の次第に断悪を成就して、これを涅槃に廻向します。菩薩がこれらの修行をする目的は一切の生類を救うためであり、自利のためではありません。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第四地は焔慧と言われる。正知の光が生じるから。なぜなら、菩提に関係のあるもの(三十七菩提分)をあますところなく、特に修めるからである。その報いとして、夜摩天王となり、自己の執着(有身見)が生起するのをことごとく打ち砕くのに巧みとなるであろう。

⑤難勝地

この境地に入った菩薩は十平等心を起こし、ありのままに四諦観など様々な真理の見方を知ります。生類の教化手段として、あらゆる世間の学問、技術、芸術、占術などをはじめ、更には禅定、神通、四無量心、四無色定などを修めます。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第五地は難勝と言われる。いかなる悪魔も打ち勝つことができないから。なぜなら、四諦などの微妙な意味を理解することに通暁しているからである。その報いとして、兜率天王となり、あらゆる異教徒の汚れた学説の根拠を退けるであろう。

⑥現前地

平等心をもって万有に差別を認めないことで、そこに一切の拘束を脱した真の自由境地が顕現します。十平等観によってこの境地に入り、十二因縁を順逆十種に観察して三解脱門(空・無相・無願)を現します。一切万有の本体を観察して、その真理を体得し真如に随順するため、未だ無生法忍(全てのものが生ずることもなく、滅することもないという真理を知ってそこに安住すること)は体得していないものの、般若波羅蜜を中心に全ての学行を修めて最上の柔順忍(自ら思惟して、真理に安住すること)を体得します。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第六地は現前と言われる。仏法に向かうから。なぜなら、煩悩を止めること(止)と真理を見ること(観)を修習することによって滅を得て、広大となるからである。その報いとして、化楽天王となり、声聞たちによって退けられることなく、増上慢の者を制するであろう。

⑦遠行地

既に智慧を成就しているため、一切の行為は慈悲行として現れる境地です。差別に即する平等・平等に即する差別を体験し、十種の妙行を挙げて一切の仏行を行います。第七地の菩薩の修行は全てが無上の学道に回向されるため、罪の垢穢は無く清浄ですが、未だ迷妄を解脱していないため、菩薩行に対する執着が捨てられていません。煩悩を起こさないから有煩悩でないものの、仏の智慧を貪り求めて理想に対する欲があるため無煩悩でもないとされます。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第七地は遠行と言われる。功徳の数が遠くに及んでいるから。なぜなら、刹那ごとに、そこにおいては無心の禅定(滅尽定)に入るからである。その報いとして、他化自在天王となり、四諦に通暁したと言われる偉大な最高の師となるであろう。

⑧不動地

菩薩行に対してでも執着を悉く捨てる時、一切の迷妄から脱却でき、第八地に達し、真に汚れを超越します。その時にはじめて純浄の生活となります。ここでは一切の行為が自然に行われて、何等の作意を要しません。一切の動乱より免れ、量的差別を捨て、「一行即一切行・一切行即一行」を徹底し、「無生法忍」を得ます。菩薩が不動地に入れば、深行菩薩と名付けられ、全て執着という執着は悉く離れています。深行菩薩は一切の生物界(衆生界)、国土・山川などの自然界(国土界)、道徳界(業報界)、声聞身・縁覚身・菩薩身・如来身・智身・法身・虚空身など、全て宇宙万物は悉く仏身(盧舎那仏(毘盧遮那仏)の十身)であることを知ります。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第八地は童子地と言われる。また、それは不動とも言われる。無分別であるから。なぜなら、不動であり、また身体と口と心の領域は想像もつかないからである。その報いとして、千の世界の主である梵天王となり、意味を明確にする点において、阿羅漢・独覚などは遥に及ぶことがないであろう。

⑨善慧地

一行即一切行の徹底は仏の無礙の智を思わせます。万有一切が互いに理解し合う鎔融無礙の境地です。一行即一切行の事実は仏の転法輪に見られ、故に菩薩の道の確実性を決定する形式として「四無礙智」を挙げ、縦横無礙なる指導方法にて説法します。菩薩が四無礙智を得て、教化が完全に行われれば、仏陀真証の内容を体得して大指導者となることができます。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第九地は善慧と言われる。法王子のようであるから。なぜなら、四無礙智を得て、この地において智慧が卓越するからである。その報いとして、二千の世界の梵天王となり、生きとし生けるものの願いを尋ねることにおいて、阿羅漢などは遥に及ぶことがないであろう。

⑩法雲地

仏位の第一継承者として授けられる資格であり、宇宙を挙げて協調偕和する大光明の輝く法界の風光を明らかにします。菩薩か法雲地に至れば、如実に万有の差別の因を知り、その智慧により如実にあらゆる生類・世界、声聞・縁覚・菩薩・仏など一切万物の化現応同を体得します。宇宙法界の一切の事象に応じて、あるいは意識的に、あるいは自然に縦横自在の教化を施して一切万物本然の生を完うさせることができます。

龍樹(ナーガルジュナ)のラトナーヴァリーより:
第十地は法雲と言われる。正しい法の雨が降るから。なぜなら、菩薩や仏陀が清らかな光明をもって灌頂するから。その報いとして、浄居天王となり、不可思議なる智慧の世界の主として、最も優れた大自在天王となるであろう。

菩薩十地を経て、仏地へと至るとします。シャーンタラクシタの大乗仏教の五位には、菩薩十地に入る前の段階が存在しています。その段階において、再び仏教認識論の話が重要となってきます。続きはまた、おいおい書いていきます。