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2種類のないものねだり

ないものねだりは、ネガティブなイメージを持つことが多いが、2種類あるのかと。

ないものねだり悪
ないものねだり善

これからいうものとは、物理的な物だけでなく、人間関係や趣味、仕事など講義的な意味としてのものと捉えている。

ないものねだり悪が一般的に言われるないものねだりなのかと思うが、これは例えば、
自分が持っているものに常に満足できず、他人のものや、持っていないものばかりよく見える。
こういう人は、あれだけ渇望していたものを手に入れても、また隣の芝が青く見える。
それ自体を欲していたのではなく、ただ他人のものが輝いて見えていただけのことだろう。

一方、ないものねだり善は、純粋に自分がまだ持っていないものを追求する心、みたいなものかと思う。
隣の芝が青く見えたのではなく、隣だろうがどこだろうが、自分にとって青く見える芝は、本当に自分が欲しているものではないか。
服はかっこいい人が着ていると欲しくなるが、自分が着たら微妙だったりもする。
服に関して言えば、一時欲しいなと思った物なのか、時間が経ってもずっと欲しいと思い続けている物なのか、に違いがあるのではないか。
境界線は自分の物差しでしかないが。

物理的な物に関しては、線引きがしやすいが、
趣味や人間関係や仕事などについて考える。

こういった目に見えないものに関しては、本当に自分が手に入れてみて満足するものか判断が難しい。
だから自分が何を大切にしているかを考えてから、ないものねだりしたものを一つずつ潰していくというやり方もいいのではないかと思う。

趣味なんて特にそうで、やったことないことを欲することはある意味挑戦だ。
ないものねだり悪の場合があるかもしれないが、人生で考えたときに、ないものねだり悪を手にするリスクより、ないものねだり善を取りに行けないリスクの方が大きい。
だからないものねだりをネガティブなイメージにしすぎず、とにかくねだって手にしてみるのもいいことではあるのではないか。

そこから自分の中で善悪の判断基準が明確になり、ないものねだり悪を排除しつつないものねだり善を全力でとりにいける力が身につくのではないか。

言葉は人が創ったものだから、万人に最適な言葉とは限らない。
自分なりの解釈を持つことでいい人生に持っていく方法があるのではないか。

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