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2023年 夏の放浪 その5

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4.「ガイドブック」と小説について


◎ 「ガイドブック」について


 2冊の本を携行していた。神田千里著『島原の乱』と、遠藤周作著『切支丹の里』を持って歩いて、読みながら、書いてある場所を訪れ、書いてある場所を訪れたら、再び本文を確認する。アニメオタクのいう「聖地巡礼」みたいなことをしていたわけだけれどキリシタン関連の地をまわるのだからこの言い方がややこしい。

この2冊


『島原の乱』は天草・島原におけるキリシタン一揆について詳細に論じられた本で、一度ならず目を通しているのだが、ただの文字列でしかなかった地名も実際に行ってみると場所になる。文法的分類による「固有名詞」は、きちんと、自分の心と体にとって、固有の実感をともなった名詞になっていく。そのおかげで、近さや遠さ、見晴らしのよさなど、戦況における「地の利」についてもよくわかる。軍勢の動きを確かに思い描けるようになる。
 もう一冊の携行本、遠藤周作の『切支丹の里』がどのような本か紹介します。

『沈黙』をはじめ、遠藤周作には「キリシタンもの」と呼ぶべき一連の作品群がある。長崎のキリシタンを題材にした、マジメな小説がいくつもあるのだ。長崎出身の作家ではないけれども、自分の仕事として潜伏キリシタンの諸々におおいに惹かれた彼は、何度となく長崎を訪れ、リサーチを重ねて、作品につなげていった。『切支丹の里』は薄い文庫本ではあるが、長崎のリサーチ紀行文や、潜伏キリシタン史についての小論文、調査をしながら作品制作に悩んでいる時期の手記、その日々を通して制作された実際の短編小説など、幅の広いテキストが集められた充実の一冊だ。どんな過去を抱えた小説家が、どう長崎に関心を持ち、なにを経験し、悩んで、結果としてどのような制作をしたのかが概観できる。
 以上の2冊をガイドブックにしていた。歴史への関心もあるし、ひとの制作の作法(さくほう)へ接近するおもしろさもあるし、リサーチのすべてを自分の制作へ反映させる下心もある。すでに述べた今村刑場跡や玉峰寺、あるいは出島そばの大浦天主堂裏手の小路へ立ち寄ったのも、すべてガイドブックに従ってのことだ。

この2冊(別ショット)


 ある種の本には時間がない。あるいは、神話的な時空間がある。集中力次第では、比喩と称されるレトリックが「ごっこ遊び」には見えなくなるレベルでの没入が待ち受けているし、とにかく時計の刻む時間とは別の種類の時間が流れている。おれ最近思うんだ「古本屋」は変な言い方で分け方でだって本には時間がないので。もちろんスケッチをしたり、思い出に浸ったり、本に頼らなくても時計以外の時間は過ごせる。しかし、なにもない、ひろいおおきい草原に暮らすよりも巨大な建築物があったほうが「ひろさ」「巨大さ」を知ることができるように、または風のそよぎや波のさやめきがあったほうが「静かさ」を聞き取れるように、自分の外にあり、かつ、出入りのできる、本という神話的時空間を内包した高次の建築物がかたわらにあるほうが、より一層明確になる事柄がある。旅の時間の豊かさが増す。訪れている土地を舞台にした本を読んでいる時間は旅の最中の時間ともいえるが、まったく別の時間のようにも感じられる。夜みた夢みたいな。


◎ 小説について

 誰かが自分はものを書いていくぞと思い定めるはじまりには、自分で自分をなぐさめるために書くというモチベーションがまずはどこかにあるとしても、読み手にとってどうなのかを気にする気持ちが育っていけば、よりおもしろいものを目指しはじめるはずで、それが娯楽性にいくのかブンガク的意義みたいなものにいくのか、憧れている型を目指していくのか、平凡さからなるべく離れようとするのか、それは人次第だろうけども、じゃあ自分はどうするのか悩んできた。


自分ちの本棚だあいすき

 逆に、はじめから「これは違う」と決めていたことはある。「書かざるを得ないから書いている」という作品の強度はすさまじいが、これは自分から「やりにいく」もんじゃないので、方向性を悩むときの選択肢からは除外していた。せざるを得ない切実さもないのに、わざわざ現実の暮らしを描写するのは避けたい。し、ていうかそれとは別にそもそも現実が嫌だから作家名までかたってうそばなしをつくっているのだし、なのでリアリスティックな時空間で展開されるお話は書いてこなかった。自分をモデルにすることになる人物の登場も嫌だった。
 賢くて悪いハムスターがペンギンを使役してコアラを虐殺したり、頭のでかい船長がずっと天井から吊られているからレールのないところには行けなかったり、超能力を持った子供たちの一団が去った街で水族館が爆発したり、現実らしさから逃れ、壮大さに到達しようという動力のため、年々、話はどんどん複雑怪奇になっていった。突飛ディティールの博覧会は風呂敷ひろげるだけひろげてまとまらない。

で、それはそうと。
 去年はじめて長崎にきて、それがおもしろくて今年も再訪したのだが、きっかけは自分の意思ではなかった。巻き込まれるかたちでの、事故的な出会いだった。
「作品制作のうえでよい刺激を受け取れる場所かもしれないので、ぜひ来てみるといいよ」というお誘いを受けたのだ。冒険心を刺激された。そんな誘いをするような人は、自身も作家をしている人で、オレなんかと比べるまでもないベテランである。彼の思いつき通り、私は長崎の環境からかなりの刺激を全的に受けたが、のみならず、夜毎酒を交わしながらさまざまな話を聞いたこともたいへん勉強になった。彼がどのようなことを考え、なにを大切にしてものをつくってきたのか。濃密で過酷な、まあ正直なところ非常な緊張感の、長くもあり短くもあるいわば合宿を通し、書き物の方向性を見直す結果ともなった。


天草のホテルに貼ってあったラッセン

 読んだ誰かに対し、あなたはひとりじゃないと、間接的に、それとなく伝えるものを、書こう。そう思った。情けない夜に散歩を続けられずしゃがみこんだら、どこからともなく現れた野良猫が、何も言わず、ほんのいっときかたわらにいてくれて、静かな夜の空気の脈拍をその猫と共有することで、立ち上がり、猫に背を向けてまた歩き出す勇気を手にできる。そんな猫になろうと思った。ひとまずはその方向に振り切ってみよう。
 もっと具体的にいえば、「あなたはひとりではない」と、それとなく誰かに伝えて欲しくてしょうがなかった過去の自分、少年のころの僕自身にむけて書いてみようと考えた。で、書いた。作業日誌をもとにして、それを書きました。そしてその小説を書いてるあいだに先述の『島原の乱』を読んでおもしろく思ったり、もしくはこれも先に書いた、やまゆり園の映像を目撃したり、それから、福生(ふっさ)に引っ越しをしたりしていた。


旅を終え、10日ぶりに帰ってきた最寄りの駅前

 島原~天草放浪は、右の小説を書き終わったあとのことで、なのでその最中は「次回作の執筆」をなんとなく自分に期待しながらの旅でもあった。なんか思いつかないかなあ。作業日誌を素材にして組んだんだから、まあ少なくとも次は違うことがしたいね。書き手自身に焦点のない、設えられた「おはなし」をやれたらいい。
 放浪しながら考えていた「次の作品」は、以下の3点を参照しながら育ていくつもりで、どうしてか、どうにもこだわってしまう事柄たちだから、というのがその理由である。
 
① キリシタン一揆が発生するまでの流れ
② 植松聖
③ 引っ越した先の福生
 

 周囲の人々から文化祭やクリスマスパレードをよろこばれるなど、「変わりもの」としておもしろがられながら西洋的世界観を維持していたキリシタンたちが、目立ちすぎたために「腫れもの」になる。生活の実際的な困窮と重なったとき、彼らに革命の夢が発露する。革命の夢を支えたものは、一度は信じた神を捨てた悔悟(ヨリを戻したい)と、暴力がひとたびはじまれば、生きるために誰かの味方をしなければならないという具体的な切迫であった。
 

 植松が犯行にはしるまでのストーリーの苦さと、辿り着いたロジックの幼稚さが気になっている。彼は学生時代から漫画を描いていて、刑務所のなかでも描き続けている。他罰的で差別的な内容で、それってそのままTVマンガの正義のヒーローのかたちをしている。要不要、正義不正義など、対立が明確で激しくて、だからこそわかりやすくて人を丸め込みやすいフレームは、世の中のそこここに散見される。
 彼にとっては、自分そして施設利用者の人生全般における不遇感を悩み抜いた末に出した挑発的なアンサーなのかもしれないが、そのラディカルなアンサーがラディカルであるが故に問いとして響くという循環。そもそもどうしてアンサーを出そうとするのか。宗教や信教についての本質的な問いとも漸近しそうな気配がある。(しかしそれだけでは主体を伸び縮みさせる発想が足りない。個人にとってのものと国家にとってのものを同列には語れない。)
 

 福生はずいぶん昔から人が住んでいて、さまざまな街道のクロスロードであったがために、いろいろな人たちそれぞれにいい顔をしてきた。僧も武家も商人も貴族も、討幕勢も幕府勢もあわただしく行き来するなか、みんなに八方美人だったんじゃなかろうか。江戸後期には「玉川上水」をひく事業者たちに少し荒らされました。そこで少し分断が発生したはず。迷惑事業ですから。そのちょっと後、戦争があって戦争が終わって米軍基地ができる。旧来の商店街の人らと、基地によって栄えたエリアの人らの間にも分断と対立がある。この対立については明確に、線路の北側・南側で陣地が分かれている。
 福生のカブキモノたちが、「アメカジ」というジャンルを作った。車の改造、スケボーやらなんやらのヤンチャスキルを育んだ。実際のアメリカとは離れた「アメリカ的なもの」がつくられていく。(アメリカンなアンティーク雑貨で飾られたガシャガシャしたお部屋ってアメリカ好きの日本人の部屋であって、アメリカにあるアメリカ人の部屋ではない)

 米兵たちにも白人黒人の別がある。いまも福生の米兵タウンにいけば、道挟んで右側はロックが流れていて、左側はヒップホップが流れている。
 都市生活はついつい、「他者がいる」という事実を視野から排除する方向に進むし、それは不健全でよくないことだと感じているのだが、福生についていえば、他者の存在をしっかり見せつけられる。爆音の航空機がぶんぶん飛んでいますし。土地の使い方やありかたと密接に結びついて構造化されている分断・対立のまち福生。利己心や気取りが生む融和・寛容のまち福生。
 
 この3つの参照点をうまいぐあいにひとつに織り込めないかと考えています。


夜の横田基地


 そのうえでまた1つ、別の角度からの考察をやってみる。
 自分がおもしろいと感じるものがどんなものなのかを集めて並べて点検してみる。
 たとえば、『島原の乱』という本をおもしろく感じた理由を考える。

回想の形式で書かれたものが単純に好きなのがひとつ。


キリシタンVSそれ以外、一揆軍VS幕府軍などと単純化された図式を解剖するにつれ、実際はそう簡単ではないと判明していくミステリーの道筋の娯楽性。


この道筋によって生活を営む人間のリアリティが立ち上がってくるために応援したくなるというか、他人事ではない感じがしてくるというか、簡単にいえば同情心があおられていくのも一因。


それから、目的や指針を持った人生がまぶしいものに思われるというのもある。これは、「かけがえのないものを持っている」という設定が施された物語はかんたんに美しさを帯びる、という法則の変奏か。


植松のことが気がかりでいる。無視してはいけない重大な、必ず答えを支払わなければならない問いの前にいるような緊張感がある。島原の乱にも、そういう部分がある予感があり、だから島原の乱への興味と植松への関心は通底しているように思われるのだが、だけれどもこれがまだあくまで予感にとどまっていて正体を見極めることができていない。どこにそれがあるのか。この文章で「問い」と表現したそれは、言い換えるとなにになるのか。これを紐解かなければならない。
 義憤だろうか。同情心だろうか。マジメな作家遠藤周作のマジメさを指して「この作家の作品、オレの趣味じゃないんだよなあ」と言ってしまえるのは自分自身のマジメさのせいかもしれない。そういえば大学のとき一番好きな授業は憲法の授業だった。憲法の意義や解釈を根本から問わざるを得ない具体的な事件が紹介され、そののち、当時の司法判断と帰結を知らされるが、これは「判決がおりた」というオチでしかないから実際的には終わっていない。出来事がなかったことにはならないし、心理的なもの含め被害の影響はどうしたって続く。この旅行記にことよせて超有名な出来事を例にひけば原爆症も水俣病も、苦しんでいる人はまだいる。って、じゃあ全員亡くなったら「苦しんでる人はもういないからこの話はおしまいね!」と宣言、立ち上がって窓開けて換気をし、「そういえば来週のパーティーのことだけど」なんつって声の高さまで切り替えて足組み直してネクタイ緩めて手指に生えてる体毛を認めて、週末までに処理しなきゃ、なんて思ったりして、コーヒーいれなおしてBluetoothにつないだBOSEでアシッド・ジャズのプレイリストを流し、ラム入りのチョコつまんで香水ふりなおして、けど、だって、そうしなきゃ、けど、そうやって気持ち切り替えてかなきゃしんどくて生きていけないじゃんか実際。対岸の火事に心を痛めるマインドがなきゃ人間じゃないという倫理観に厳しく頭から従って心を塞いだ人は納税能力が下がるから病者認定を公的に受けることができる。マトモじゃないんだってさ。なんなんだ、正しさって。


これは近所の夏祭り。夜0時開始の無形文化財、なんと第256回目の開催!

 放浪から戻っての日々、しばらくぶりに顔を出した某勉強会でとなりの席になった人となんとなく仲良くなって、ほかの方も誘い、勉強会後にお茶をした。4時間か5時間くらいの勉強会のあと、4時間か5時間くらいのお茶会である。年齢がひとまわり上の人と、さんまわり上の人との談話のなか、久方ぶりに他者の人生の語りの塊に衝突した。さすがに具体的にここで、誰かさんの人生をさらしものにはしないが、小説をつくる・物語をかたる、そのモチベーションとしてありえる視座が自分のなかに増えた。新たに登録された角度がある。

 その人には、わけあって外に出られなくなった家族がいる。「だから私が、こうやって外に出て、いろんなところにいって、いろんな人と話して、その思い出を持ち帰って、こんなおもしろい人も世の中にはいるのよってお話をして、そうやって、私たちにはできないことを、代わりにやってくれてる人がいるんだねって確かめて、外の世界を小さくしないように、外の世界とのつながりを断たないように、語り続けてるのよ」

 そうかお話は、現実から目をそらすんでなく、現実を拡張する働きがあるともいえるのかあと思い直すと、自分がそも書き物に打ち込み始めたときの、現実から目をそらすという動機づけの解釈が甘くて幼稚なような気がしてくる。だってお話の時空間を過ごした経験は現実に影響を及ぼすのだから、現実的でない時空間も現実の一部だといえる。
 語りによって、余暇時間の退屈しのぎや内的ヒーリングだけではなく、他者との連帯感・世界との一体感の維持がまかなわれる場面があるとの指摘を、それまでなかったような衝撃として受け取った。確かに手触りのあるなにかを挿入された。新鮮に驚けるタイミングぴったりに、その指摘に直面した。

天草の壁です

 十数年前なら、たいした根拠もなく、自分自身のことなんて書くまいと決め込むだけ決め込んでいたけれど、作業日誌を素材にすることでそのルールを破った。それから、現実的であることを避けたかったはずなのにどうしてか、社会を揺るがした大事件と歴史とに興味を持っている。そして素直に、それを参照してものをつくろうと考えている。変わるもんだねえ。
 具体的な出来事を説明したり告発する動機はないし、参照するものごとは複数にわたっているから、結局は作り話の世界を立ち上げることには変わりないだろう。ペンギンにコアラを殺戮させるような種類の作り話とは成り立ちがおおきく違うが、あくまで作り話をやりたい。
 どうしようかと、設定をいろいろこねてこねて、こねながら、どうしてこれをやりたいんだろう、どういうことをやりたいんだろうなんて、根本のところを何度も洗い直して、だから実際にはひとつも作業は進んでいない。手に負えるだろうか………(つづく・次でおしまい)

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