高円寺という大好きな街を去ること

私事で恐縮ですが、引っ越しました。
いや、ブログなんだから私事もクソもあるまい。で、本日、旧居の退去時立ち会いのために、5年間住んだ東京は高円寺という街にに行ってきた。

5年というのは、まあ長いだろう。これまで住んだ中では、生まれ育った街を除き最も長く住んだことになる。その分、やっぱり寂しさを感じたし、引っ越しなんかしなきゃよかったなあという思いも、幾分か感じた。

この寂しさは何だろうか。「もう街に来られない」ということなのか。そんなことはない。実際、今日も来たわけだし、何か都合をつければいつでも来られる。

「活気」だろうか。引っ越した先は、商店街や駅前のデパートなどこそあるが、23区外。街の賑わいや活気は、比べるべくもない。でも、だからと言って何なのか。まあ寂しいってそういうことか。でも人に溢れている場所にいたって寂しいこともある。

あるいは「俺のいないところに街がある」という思いが近いのかもしれない。これは「死」に対する感情に近いかもしれない。自分が死んだからといって宇宙や世界が終わるわけでもなく、当然に宇宙や世界は存続する。これは俺の大好きな小説家の保坂和志が何度も何度も強調していることだ。

俺がいないところに街がある。そして変わっていく。そのことを知れない感じられないことに対する、何とない焦りや嫉妬なのかなとも思う。いや、でもさっきも書いたけど別に二度といけないわけじゃない。今日行ったときに感じた変化も、かき小屋が入っていた建物が取り壊されていた、それくらいだ。

「行く」と「住む」ことの違い。住むということは毎日その街にいるということだ。毎日帰ってくるってことだ。

「帰ってきたウルトラマン」というのがあるが、どこかの街にウルトラマンが引っ越してきて、次の日にどこかに出かけたウルトラマンが帰ってきても「帰ってきた」感はない。つまり何度も何度も帰ってきて、「ウルトラマンはここのモンだ」という認識があってようやく「帰ってきたウルトラマン」がしっくりくる。何を言おうとしてこんな例えを出したのか。例えになってるのか。

5年前、引っ越し先に高円寺を選んだ理由は、敬愛する大槻ケンヂのホームタウンだったからだ。オーケン、筋肉少女帯といえば、高円寺。これは間違い無いだろう。『高円寺心中』を引くまでもなく、そしてむげん堂を引くまでもなく、とにかく高円寺だったのだ。

だが、住んでから(あるいは住む前から知ってたかどうか、覚えてない)わかったことだが、オーケンの生まれと育ちは「野方」なのである。野方は中野区、高円寺は杉並区。目と鼻の先とはいえ、結構な違いだ。

高円寺といえば、大槻ケンヂだけでなく、大森靖子や銀杏BOYZの峯田和伸、坐人間?だっけ?の人、あれなんだっけ。そうした音楽関係の人間と関係の深い街である。あるいは最近では「高円寺芸人」という形で様々な芸人が関係性を強調している。

また、高円寺といえばカレー、古着、美容院のイメージを持つ人も多いだろう。実際古着屋と美容院はマジで多い。ただ古着屋のほとんどは古着のくせに高く、美容院は行きつけの店が中野にある俺にとってはあまり関係なかった。カレーはたまに食った。

いろんなことがあった。100メートルほどの区間をみんなに手伝ってもらって引越したり、怪しいNPO法人の名義貸しを頼まれたり、転職初日にいい気になって酒飲みすぎて2日目に二日酔い寝坊したり、思い出にはキリがない。

思い出は無くなることはない。忘れることはあるけど。きっとまた何度も何度もこれから高円寺に来ては、何度も何度もいろんなことを思い出すんだろうなと思う。

今日、退去を前にして掃除とかしてて、頭の中で銀杏BOYZの『東京』という曲が鳴って止まなかった。大学1年から東京都内に住んでは来た。でも、高円寺に来てから俺は東京をすごく感じた。初めて感じた。

恥ずかしいけど、俺は高円寺という街が大好きだった。いや、大好きだ。これからもずっと。

この5年間、高円寺という街で俺は何を経験して何を学んだのだろう。別に常連となった店も、なかった。何を成したわけでもない。でも良くも悪くも、多少は「大人」になったような気もする。

筋肉少女帯により高円寺に住んだ俺は、最後の今日、筋肉少女帯が解散話をした、駅前の四丁目カフェでコーヒーを飲んだ。ひとまずさらば、じゃあな!

(文責:ぺてん師)

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