ウラギンシジミ

 悲しいほどに短かったお正月休みが終わって──充実はしてましたがね。初めて高校の同窓会にも出たし──今朝仙台に帰ってきました。あ、違うか、家を出たのは朝だけど、職場に着いたのはお昼だったもんね。寒波のせいでノロノロ運転だったんですよ。

 運転に時間がかかっても飽きることがなかったのは、ラジオ番組のおかげです。ぼくは山形県内ではNHK、宮城県内ではTBCを聴くことにしてるけど、今日はずっとNHKを聴いてましたね。朗読の時間が面白かったんです。

 番組で紹介された本は、娘さんと一緒にウラギンシジミという越冬する蝶を観察した女性のエッセイでした。この蝶は、常緑樹の葉っぱの裏にぶら下がってひと冬を越すそうです。でも全部が全部生き永らえるわけじゃない。彼女が観察した五匹の蝶は、二月にはすべて落ちてしまったとか。彼らは潔く死を受容したわけです。自然に生きるとは、自然に死ぬことでもあるのです。

 なかなかそう割り切れないのが人間という生き物で、昔から不老不死の薬を夢見てきました。現今は科学(医療)が発達してるから、いろんな延命治療が可能です。臓器までパーツになっちゃって、売り買い……は、少なくとも日本ではないかも知れないけれど、やりとり(つまり部分置換)は常識のうち。究極はクローンですか? 全置換だ、これは!

 人間は感情の動物です。ほかの動物ほど簡単に死を受容できないのは当然でしょう。でもどこかで線を引かないと、とんでもないことが起こりそうな気がするのです。神から見放された人間は、自らが神となって、おのれに規矩を与えるほかありません。できるでしょうか? でも、やらなければ。(2001.01.05)

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