衝動買い、ふたつ

 文字通りの衝動買いでしたね、これは。  職場のある仙台から鶴岡の自宅に戻った夜、ヤマハから届いていた小冊子をなんとはなしにパラパラめくっていたら、「J.S.バッハ全集」(ユニバーサルミュージック、二十枚組)が目につきました。うーむ、安い。  ぼくは、バッハとモーツアルトだけは全集が欲しいと思っていたんです、以前から。全集と言うより選集かな。代表的な曲を聴ければそれでいいのだから。で、この企画はまさにぼく向きと思えたのですが、決め手は森有正でした。特別付録として森のパイプオルガンの演奏と、NHKのテレビ番組(「女性手帳」1974年)の音声録音が収録されたCDがついていました。  かつて日本フォノグラムからリリースされたこともあるこの録音のLP盤は、ぼくも持っています。しかし、いつでも聴けるCD盤が手に入るのはやっぱりうれしい。今の時代に、森有正の演奏と話をBonus-CDにしようなんて洒落たことを考える人がいるとは、驚きです。これだけでも信用できますよね、この全集。で、躊躇することなくget。企画された方に熱き一票を投じました。  ところが次の頁をめくると、今度はぼくの学生時代の日本のポップス(ニューミュージック? フォークソング?)の集成(「コッキーポップの歌」、ヤマハ音楽振興会、11枚組)が。コッキーポップという、かつての人気ラジオ番組をCDに詰め込んだような編集になっていて、時代を感じさせる曲がたくさん納められています。決め手は高田真樹子でした。  もう何度も書いてきたことだけれど、ぼくの学生時代=東京暮らしは、町田市鶴川にある小さな新聞販売店から始まりました。学生の身分ではあっても、働いて給料をいただき、一応は自立した社会人としての生活が始まったのです。  アルバイトひとつしたことのない箱入り息子? のぼくがいきなりですからね。見知らぬ人たちの中に混じって働いて、(住み込みみたいなものだから)朝晩の食事までいっしょに食べるんです。よくできたナー、と今になって感心するのだけれど、後先を考えない、これが若さでしょう。  さて日曜日は、普段よりちょっと遅めに朝刊を配り終えて、あとはフリータイム。この、半ドンに近い休みが楽しみで楽しみで……。で、まだ働き初めて間もないある日曜日、四月か五月のことだったと思うけれど、職場の先輩(加藤さん、だったかな、やっぱり大学生でした)に連れられて初めて町田の商店街に足を運びました。印象は、「靴屋さんの多い町」。ホントにそうだったんですよ。小さな、しかしびっくりするほど安い値札を付けた靴屋さんが軒を並べてるって感じ。  高田真樹子のデビューシングル「屋根」は、この時にたまたま立ち寄ったレコード屋さんで見つけ、すぐ買っちゃいました。まだプレーヤーもなかったと思うけど、とにかく欲しかった。

つらいことだらけで 泣きたくなってしまった時 あなたの家がはっきり見える 屋根の上が恋しくなるの ……

 ご多分に漏れずぼくの東京での独り暮らしの一番の友はFMラジオで、ぼくは家から持参したモノラルのラジカセでヒマさえあればFM東京を聴いていました。目覚まし代わりにしていた時もありましたっけ。「屋根」という曲を知ったのもFMです。朗々と流れるイントロを聴いただけですぐに心がトんじゃったけど、歌詞も初々しくセンチメンタリズムに満ちていて。このころFMで流れていた曲は、その時代、あるいは若い世代の心をよく表していたと思います。自分で曲を作って自分で歌う。自分の思いを自分の声で、自分の体で表現する時代が、始まっていたんです。  最近の曲って、リズムだけじゃない? だから、何を聴いてもみんな同じにきこえちゃう。少し離れて聴いていると、みんなシャカ・シャカですよ。でも、音楽で大切なのは、やっぱりメロディーだと思うんです。それから、歌詞。  ミュージシャンの「サエキけんぞう」さんは、コッキーポップの歌の中に「語感にからめたある種の情緒性」を見て、「近年そんな情緒性はヒットチャートで少なくなったようにも思えたが、KiroroやCocco、ル・クプルのヒットにより、九十年代の今も形を変えて生きていることが改めて確認された」と指摘されています(「ポプコンサウンドの『輪郭』」)。なるほど、本当にその通りだ。  ぼくにとっての「屋根」、この甘酸っぱい淋しさは、また誰かにとってのほかの曲であるに違いないし、そう考えると、全集に収められたぼくの知らない(忘れてしまった)曲、ぼくの知らない(忘れてしまった)歌手たちがみな、それぞれに光り輝く、大切な宝物に思えてくるんです。  ヒット曲集でも名曲集でもない、ひとつの時代をそのまま「そっくり」切り取ったこのアルバム集。衝動買いに値するとは思いませんか? それとも、単なるノスタルジーなのかな?(99.9.29)

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