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お正月の思い出いくつ

2021年元旦。晴れ。

今日はだいぶ日が高くなってから目が覚めた。「一年の計は元旦にあり」というけれど、私は年の初めにふさわしいようなきちんとした元旦を過ごしたことがない。

今日はいい天気だから、初日の出もきれいだったろうなと思いつつスマホを見ると、Facebookのタイムラインには初日の出の投稿がたくさん。みなさん、私に御来光を見せてくれてありがとう、と感謝してスマホを閉じた。

元旦に寝坊してしまうのは、大晦日に遅くまで起きているから。昨日も紅白歌合戦を最初から最後まで見て、それから「ゆく年くる年」を見て、その後のさだまさしの番組までついつい見てしまい、お風呂に入って寝たのが3時ぐらい。大体、大晦日はいつもそんな感じ。

例年、年末年始は母がうちに泊まりに来て一緒に過ごすのが常だった。母のいないお正月は今年で2回目。まだ慣れなくて、テレビをつけても、お雑煮を食べても、何をしても母の思い出がよみがえる。

母はいわゆる「天然系」で、ある年の元旦、興奮気味の母が明け方に私をすごい勢いで叩き起こした。いったい何事かと飛び起きたら「ほら、見てみい、空がよう、まぁで、きれいだから」と、窓を全開にして朝焼けを見せてくれた。寝込みを襲われ、パジャマ姿で寒風にさらされて、理不尽な思いで眺めた朝焼けの空は、遠くに見える山並みを金色に光り輝せていて、確かにきれいだった。

いつだったか、紅白を見ながらアイドルなど全く分からないと言う母が、SMAPの草彅くんを見るなり、知ってると嬉しそうに指さした。へえ、珍しいと思ったら、「ほら、これ、アレだげだ! 公園で、裸になった男!」 
ああっ、あれから何年も経っていて、世間は忘れても、お母さんは忘れていなかった! 天国のお母さん、草彅君は年末に結婚したよ。芸能ニュースを見た私は、仏壇に手を合わせて報告してあげた。

母は群馬県の生まれで、故郷への愛がたいそう強かった。年を取ってだいぶ物忘れがひどくなっても、子供の頃に覚えた上毛かるたは全部の札を諳んじていた。職場のあった神保町の奥野カルタ店で上毛かるたを見つけて、プレゼントしてあげたのは2年前。最後のお正月となったあの年、母は小学生の孫娘と娘の私と、女三代でかるたをして遊んだ。

トランプの神経衰弱では84歳にしてはかなりの記憶力を見せて、私よりも多くのカードを取った。母と同居していた弟に言わせると「お母さんは、普段から神経衰弱やってるようなもんだから」。母は片付けられない人間で、いつも床一面に荷物を広げて生活していた。片付けるとカンカンに怒ったが、日々の生活が神経衰弱ゲームなのだと思うと、せっかく覚えた配置を乱されて怒る気持ちも理解できる。

「なんでも見えるところに置いておかないと忘れる」というのが、母のマイルールだった。ある年の暮れ、母は田舎の親戚からお正月用の煮豆を送ってもらい、それを私の家に持ってきた。でも、残念ながらその豆は傷んでいて食べられる状態じゃなかった。聞くと、冷蔵庫に入れると忘れると思って、忘れないように数日の間玄関に置いておいたのだという。いや、いくら真冬だからって、そりゃダメだよ、お母さん。自分の失敗で煮豆をダメにしてしまったと知ったときの母の泣き顔ったら、まったく子供みたいで。

うちの煮豆は紫花豆で、身体の不自由な祖母が石油ストーブの上で何日もトロトロと煮込んだ豆は、皮がやわらかくてホクホクしていて、そりゃあ絶品だった。今年の暮れは、思い出の紫花豆をついに自分で煮てみることにした。火にかけること2,3日、そうとう時間をかけて煮てみたけれども、やっぱり祖母のあの味にはかなわないのだった。

お正月の思い出ポロポロ。何ということのない時間の積み重ねが、振り返ると大切な思い出になっていた。

新年の花飾り。今日はお気に入りのカシミアのセーターを着た。今年も自分の中にある思いを、気負わず素直に、言葉にしていこうと思う。

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