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相手の弱さを想像する

先日、訪問介護の仕事で、掃除を担当しているお宅でのこと。いつものように床の雑巾がけをして、洗面所でその雑巾を洗っていたところ、ご利用者さんの遠慮がちな声に呼び止められた。

「あのね、蛇口をあんまりきつく締めないでほしいの。ほら、私、あんまり力がないからさ」

その人はふだん人に注文をつけることをあまりしないのだろう、言いづらいことを言ったと見えて、少しぎこちない笑顔を浮かべて、私を気遣った。

その洗面台は昭和の時代の古いもので、蛇口はひねるタイプだ。私はそんなに力いっぱい蛇口を締めているつもりはなかったのだけど…。でも、80代のその人は、私が帰った後、蛇口がきつくて困ったのだろう。

私は申し訳なくなって、これから気をつけますと言って謝った。そして蛇口をできるだけゆるく締めた。ギリギリ水が垂れてこないぐらいのところで。

自分にとって何でもない力加減が、ある人にとっては強すぎる。私は自分をどちらかというと弱い方だと思っていたので、そんな自分でも強者の側に立つことがあることに、驚いたし、考えさせられた。相手の弱さを想像できなかったことについて。

想像できない。

そのことに無力感のような、罪悪感のようなものを覚えつつ、でも想像できないものは想像できないとも思う。

これを機に似たような問題が他にないか想像してみることはできるし、経験を積むことで、想像できることもあるだろう。それでも、想像できないことはたくさんあるにちがいない。私に限らず、誰だって。

だからせめて、自分よりの弱い立場の人が、困りごとを話しやすい人でいたいと思う。

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