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稲木紫織のアートコラムArts & Contemporary Vol.35

画家・平松麻が想像力豊かに描く
朝日新聞金曜夕刊連載中
『ガリバー旅行記』の世界

画家の友人、平松麻が2020年6月から朝日新聞の金曜夕刊で、ジョナサン・スウィフト原作、柴田元幸新訳『ガリバー旅行記』の挿画を担当している。柴田さんの新訳が、「ガリバーってこんなにおもしろかったの!?」と驚くくらい素晴らしく、麻さんの絵がまた、非常に臨場感があって、原作の舞台である18世紀初頭にあっさりと運ばれてしまう。

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第1部リリパット国渡航記07話

小学生の頃、子供向けの本で読んではいたが、大人になってちゃんと読むのは初めてかもしれない。本書は、「船医より始めてのちに数船の船長となったレミュエル・ガリバーによる、世界の遠国への旅行記四篇」である。単なる冒険譚と思っていると、時代背景を精緻に踏まえ、知性的、啓蒙的かつシニカルな批評眼を合わせ持ち、その類稀なイマジネーションには驚嘆するばかりだ。

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第1部01話

第1部はリリパット国渡航記。航海中に船が難破して、小人の国「リリパット」へ流れ着いたガリバー。帝から身体検査を受けたり(その時、ポケットを探られて出てきたものを、麻さん流にマッチ箱に描いたのが次の絵)、娯楽として、帝が棒を使った競技で優劣を決め、一番から順に青、赤、緑の糸を、褒美として腰に巻きつけたりしている様子を見たり(最初の絵)、様々な体験をする。

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第1部05話

平松麻は1982年、東京生まれ。絵は独学。油彩画を主として展覧会での発表を軸に、挿画や文章も手がける。マッチ箱の作品は、主に油絵の具で制作している彼女が息抜きに描き始めた、マッチ箱にグァッシュで描いた小さな絵画で、それは初の作品集『Things Once Mine(かつてここにいたもの)』になった。

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平松麻さん 2020年ギャラリーSUでの個展にて

麻さんの絵は、カンバスに油彩を幾重にも重ね、そこを削っていく作業から始まる。描くのは、「自分の腹の中にある風景」で、それは雲であったり道であったりする。彼女には確実にその風景が見えているという。時間の堆積が佇まうような独特の絵肌の風合いが私はとても好きだ。また、立体作品はマッチ箱と同様、息抜きで作られ、人物はみな「哲学者」だそうだ。

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拙宅の平松麻の作品たち

彼女の絵は本の装丁にもよく使われる。今年刊行された3冊は、平松洋子著『下着の捨てどき』(文春文庫)。名エッセイストによる痛快で楽しいエッセイ集だ。ちなみに、著者は麻さんの母である。マリオ・バルガス=リョサ著『ケルト人の夢』(岩波書店)は、先月発刊されたばかり。南米を旅したことのある彼女の素朴な絵が美しい。谷口桂子著『食と酒 吉村昭の流儀』(小学館文庫)は、吉村昭好きの麻さんがしっかり読み込んで描いているのがよくわかる。

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平松麻の絵が使われた本たち

ガリバーに話を戻そう。第2部では大嵐に遭い、ガリバーは巨人の国「ブロブディングナグ」へ上陸。農場の主人に拾われ、主人の娘が世話をしてくれることに。彼女はとても気立てがよく、歳の割に小柄で背丈は12メートルほど。とはいえ、「小さな乳母」とガリバーが呼ぶほど、彼女は彼に愛情を注ぎ、小さいがゆえに見世物扱いされそうになった彼を、自分の胸に抱きよせ泣き出すのだった。

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第2部ブロブディングナグ渡航記

第3部は、ラプータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリブ、日本渡航記。本書の中で一番びっくりしたのが、ラプータでのこと。召使が膨らんだ膀胱らしき袋を短い杖の端に縛りつけ、主人が思索に没頭して他人の話を聞かなくなった時などに、耳のあたりを叩いて知らせる。これは、叩き人と呼ばれる職業で、家庭につねに一人、置かれているというのだから。

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第3部ラプータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリブ、日本渡航記

同じく第3部の49話。ラプータを去り、その支配下にあるバルニバービの都ラガードで大学術院を見学したガリバーは、様々な研究者と出会う。キュウリから日光を抽出しようとする者、人糞を元の食べ物に還元しようとする者、屋根から始めてだんだん下がっていって土台にたどり着くという建て方を考案する建築家、豚を使って地面を耕す方法を見つけた者など、ユニークで思わず笑ってしまう。

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第3部49話

その後、グラブダブドリブに旅したガリバーは、島主の歓待を受け、故人となった過去の人物を呼び出して質問してもいいと言われる。カエサルとブルトゥス、ホメロスとアリストテレスを次々呼び出し、次にデカルトとカッサンディを呼び出してから、それぞれの思想体系をアリストテレスに向けて語ってもらったガリバー。「自然科学に関して自分はいろいろ間違っていた」と偉大なる先達が認めるシーンがあり、こういうことしてみたいなあ、とわくわく。

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第3部54話

第4部はフウイヌムという馬の国への渡航記。お気づきと思うが、1部、2部、3部と題字下の色が変化している。このモスグリーンの色合い大好きで、見るたびに嬉しくてたまらない。この絵は、馬のひづめとガリバーの右手、あるいは、ひづめと靴が触れているのが、コロナ下の挨拶のように見えて何だか微笑ましかった。この連載は2022年1月で終わってしまう。残念だけれど、来年一冊にまとまるそうなので、今からとても楽しみにしている。

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第4部フウイヌム渡航記


しおり〜カバー

稲木紫織/フリーランスライター。ジャーナリスト
桐朋学園大学音楽部卒業
音楽家、アーティストのインタビュー、アート評などを中心に活動
著書に「日本の貴婦人」(光文社)など

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