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映画『Barbie』を観てきた その2

そもそもケンはお呼びでは無かったお人形遊び

この映画、「男は女にとって必要かどうか」として観てしまうと受け取り手によっては見えてこない部分があるように思う。

そもそもなんですが。
リカちゃん、ジェニー、バービーその他、「一般的に知られている女の子の形のお人形」で遊んできた女性の皆さん…ボーイフレンドの人形の存在って、必要不必要の前にそこまで気にして遊んでいましたか?
ボーイフレンドの人形がある、という事実は当然認識はしていたし、仲間としてごっこ遊びに入れてあげる女の子は居ました。
居ましたが…基本的に蚊帳の外というか、数ある玩具の中にまずスタメンの女の子型のお人形が居て、その次にお友達(女の子型)のお人形、さらに経済的余裕があるとか近所のお姉さんがもう遊ばないからとかでお友達が増えていく中にたまたまボーイフレンド型のが含まれていたとか、親が気まぐれに買ってきたとか…二の次的な存在になってしまっているのがボーイフレンド型のお人形だったように思います。
もし私が異色なパターンだったらどうしようとも考えたけど、『Barbie』のメインのケンを演じたライアン・ゴズリングのインタビューでも似たような話があるから、世界的にそうみたい…(ご自身のお子様達がケンには用がないみたいでそれが役作りに一役買った)

そんな感じで、女の子のお人形遊びの場では”呼んだつもりが無いのにいつの間にかそこに居る男”がケンであり、ボーイフレンド型のお人形。
「悪い奴ではないんだけど、居ても居なくても何とかなっちゃうんだよなあ。」
であって、
「私は自立してるからボーイフレンドは要らねーよ!」
では無いんですよね。
その前提が無いと、お人形としてのバービーも、この映画のバービーという女性、そしてケンという男性、ボーイフレンドを読み違えてしまうのではないでしょうか。

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