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なぜ、5人の東方神起は日本でブレイクしたのか?

今回は5人の東方神起がなぜ、日本でブレイクしたのか、ということについて記事を書きます。
今年、結成20周年を迎える韓国のグループ東方神起は、多くの人が知るようにデビュー当初の5年間は5人のメンバーで活動をしていました。2010年の分裂を経て、東方神起の音楽のコンセプトは、分裂前と分裂後では大きく異なり、活動のスタンスも違っています。
BTSの全米でのブレイクを受けて、日本でも第3次韓流ブームという現象が起きました。今、日本では中高生を中心にK-POPアイドルを目指す若者も増えています。確かに多くのK-POPグループが日本でも活動を行います。しかし、そのブームは世代的に限定されているのは否めないでしょう。
いくつかのグループが紅白歌合戦にも出場しましたが、その名前を聞いた時、「誰?」と疑問に思った人の方が多かったのも事実です。それほど、やはりK-POPは日本社会の中でまだまだ限定的と言わざるを得ません。BTSの活躍もBTS自身が欧米市場を中心に活動している為、日本では名前は知っていても日本オリジナルの楽曲がヒットしているとは言い難く、やはり韓流という限定的な枠の中での認知に留まっています。
しかし、2000年代初頭に日本で活動した東方神起だけは、今でもそのグループ名は圧倒的認知力を持った存在として多くの人の記憶に残っています。彼らが日本でのK-POP市場の土壌というものを最初に開拓したということは間違いないでしょう。
しかし、東方神起というグループの存在は、J-POP界においても特別な存在だったのです。

彼らが分裂した後、日本で彼らのように老若男女、全世代的に認知の広がったK-POPグループは出現していないと言えるかもしれません。彼らのブレイクを受けて活動したBIG BANGですら、全世代的な認知力は優っていないというのが現状です。
では、多くのK-POPグループと5人時代の東方神起では、一体、何が違っていたのでしょうか。
その理由を、彼らの特性や音楽性と共に、紐解いていきたいと思います。
(なお、この記事はあくまでも5人時代の東方神起について分析するもので、現在の東方神起の存在を否定するものではありません)

K-POPアイドルとしての来日

2003年末に韓国でデビューした東方神起は、多くの人が知るように1年間、韓国での活動を行なった後、日本では2005年『Stay With Me Tonight』で正式にメジャーデビューをしました。
彼らはデビュー当初、韓国でのポジションと同じようにボーイズアイドルグループとして日本で活動を始めました。
それまで韓国出身のグループは男女合わせていくつか日本で活動をしてみましたが、思うような結果が出ませんでした。その為、SMはBoAを日本でデビューさせるにあたり、徹底的な現地化政策を取ることにしたのです。即ち、日本語を話し、日本語の歌を歌い、日本人芸能人と同じように活動することです。この政策で、当時、SPEEDが解散し、ポッカリ穴の空いたダンスミュージックのアーティストの椅子にBoAは見事にハマることが出来ました。即ち、大ブレイクしたのです。
SMが彼女の次に日本に送り込んできたのが東方神起でした。BoAの成功を経験したSMは東方神起にも彼女と同じように徹底的な現地化政策をすることを決め、その活動の全てをavexに一任したのでした。
ですが、彼らは日本でブレイクできませんでした。なぜなら…
日本は、ボーイズアイドルグループの天下だったのです。その天下を取っていたのがジャニーズアイドルでした。
「ルックスが良く、歌えて踊れる男の子達」
このコンセプトは、完全にジャニーズのボーイズグループと被りました。ジャニーズのボーイズアイドルグループは、1968年デビューのフォーリーブスまで遡ります。即ち、日本でのボーイズアイドルグループの歴史は、韓国でのそれよりもずっと何十年も以前からジャニーズ事務所が作り上げてきた王国だったのです。その為、韓国のアイドルグループ、という以外に何の特徴も持たない彼らは、その頃、やっと日本で起きた韓流ブームの一部のファンに支えられただけの話題に終わってしまいました。
そして、結果の出ないグループとして、今までのグループと同じように本国に帰ってもおかしくはなかったのです。

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