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俺はそのとき「信じてくれよ」と妻に言った。

何度買ってもカーテンは難しい。

引っ越しをするたびにカーテンは買ってきた。10回近くは買ってきた。しかし、買い方に関しては上手くなっている実感がまったくない。まず事前の測り方が雑になる。いや、雑なつもりはない。そもそもレールから床までをまっすぐメジャーで測るという行為自体が私にはかなり難しい。そして長さをどうにかこうにか測ってお店に行くと「Aフックでしょうか、Bフックでしょうか」とか「測り方はレールの上からでしょうか、フックの下からでしょうか」など買うたびに「忘れてた!」と思うことを聞かれて答えに窮する。

だから今まで10回近くカーテンを買ってきて私の中に積み重なっていたのは買い方のスキル、ではなく、難しさへの鬱憤であった。それが良くなかった(当たり前だ。カーテンは何も悪くない。すべては怠惰な私のせいだ)。

先日、我が家は引っ越しをした。新しい家のリビングには大きな窓があった。今まで使っていたカーテンでは縦も横も賄えない大きさだった。
(・・・これは引っ越し当日にカーテンがほしい)
新居の内見をした日にそう思った私は、電気ガス水道の住所変更をすると同じくらいの最優先事項として新しいカーテンを間に合わせることを意識した。これも良くなかった。

カーテンを買う店は決めていた。引っ越しを数週間後に控えたある日、私は家族とたまたまその店の前を通った。
「カーテン見ていこうか」
ここではまだ妻は見るだけで買う日になるとは思ってはいない。もちろん「いいよ」と答えてくれた。

しかし買うことを決めていた店だ。とても素敵な品揃えだった。色や生地を選んでいると少し先の未来がイメージできて、楽しくなってくる。ああ、引っ越し当日にこんなカーテンをつけることができたら、その日からきっと新しい毎日がより「新しく」感じるだろう。

「・・・買うか」
私は一応契約時に測ったサイズをスマホにメモしていた。ちゃんと測れている、大丈夫。自分に言い聞かせるようにメモを開いた。そこには苦手意識を持ちながらも、背伸びをして、しゃがんで、大きな窓と頑張って格闘した成果である数字が並んでいた。その数字たちは「俺たちを信じろ」と言っているようだった。人間、過去の自分とは向き合いたくないものだが、その時々の自分のベストを愛することも大切だ。つまり、この数字を信じなくてどうするのだ。
「え、大丈夫?」と妻。
「おなかすいた」と娘。
まさか今日が買う日になるとは思っていなかった妻は防御態勢に入った。
「どこから測った?」
カーテンを買うときの一番の難問がやってきた。しかも店員からではなく妻から放たれた。私は答えた。

「・・・上?」

「ちょ、上ってどこの上よ。やめよう。またちゃんと測ってからにしよう」
「大丈夫だって。ちゃんと測ったもん」
「もっかい測りにいこう。不動産屋さんにお願いしよう」
妻は冷静だ。そして正しい。妻の言う通りにすれば誰も損しない。お店の人ももう一度測られてからでもと、誠実な対応をしてくれている。しかし私は測ったときの自分を裏切れなくなっていた。今ここであのときの俺を見捨てたら、俺が俺じゃなくなる。

「信じてくれよ」
私は最低のひと言を言ってしまった。ボクシングルールなのに、ハイキックをしてしまったようなものだ。いやなんか違うが、妻は「こんなことでそのカード切るのかよ」という顔でしぶしぶ納得してくれた。

そして予定通り、新しいカーテンは引っ越し日当日に届いた。俺は、今日届いたのは自分のおかげであると高揚し、普段は見せない素早さで新居のカーテンレールにつけていった。

ある程度つけたところで背後から「あっ」という声が聞こえた。妻だった。そして俺もその声につられて下を見て「あっ」と言った。この状況で「あっ」以外に言葉があるだろうか。「あっ」の中の「あっ」。ベスト・オブ・あっ。

その真新しいカーテンは、床からはるか上、三十センチは浮いていた。測り間違いにもほどがある。

「なんか、へそ出しルックみたいだな」

人間、あまりにバツが悪いと良い例えツッコミが思い浮かぶというイェール大学の研究報告は本当だった(わけがない)。

もちろん妻はキレた。

誰にでもミスはある。しかしそのミスを反省もしないどころか、茶化す。そんな自らの品のなさを悔いた俺は、今でも自戒のためそのカーテンをそのままにしている。徳川家康が三方ヶ原の戦いの悔しさを忘れないために自画像を描かせたように。というのは嘘で、ソッコーで修繕の問い合わせを多方面にしたが、長いものを切ることはできるが短いものを長くするのは工程が多くなり料金が高かったのでMEGA BIGが当たるまでは諦めた。

大は小を兼ねる。このシンプルな諺の本当に意味は、小は大を兼ねないということを痛感した人にしか分からない。

しかし、時間が経つにつれて浮いたカーテンとの生活も慣れていくもので、むしろ洒落てさえいると思えなくもなくもない。そんな日常を取り戻しつつあったある日、娘の保育園友だちが遊びに来ることになった。もちろん親も来る。掃除をする。玄関も、リビングも、トイレも、水回りもお客さんが来るのだからと汗をかくほど念入りに掃除をする。

「ふう」

汗を拭きながら私と妻は分かっていた。今日私たちは人生で初めて人の心を読む超能力が使えることになると。

客(このカーテンって・・・)

私たち(そうだよね、気になるよね!)

今日からはそんなテレパシーにひと言(note読んでね!)を足そうと思う。

#コラム #引っ越し #日常 #夫婦

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