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音楽は “ナマの刺身”?〜 都倉俊一の時代錯誤

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2021年4月1日付で文化庁長官に就任した音楽家の都倉俊一。三月初旬にこの起用が発表されたときにはちょっとビックリし、なんたってあの山本リンダやピンク・レディーのヒット・ナンバーをてがけたコンポーザーですからね、旧弊なお役所体質にポピュラー界の新風を吹き込んでくれるんじゃないかと、期待の記事を書いたりしたもんです。ぼくはピンク・レディーとかで育った世代だったんですからね。

しかし就任から約一ヶ月、期待は若干の失望へと変わりつつあります。音楽ファンにとって特にこれは問題だなと思ったのが4月30日付でネットに上がったこの記事。ニッポン放送News Onlineのもので、「ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム」となっています。

・文化庁長官・都倉俊一氏の示唆に富む発言

この記事のなかで、都倉は明確にコンピュターを使った音楽を否定しています。「いつの時代も流行歌は時代を反映していると思う」と発言しているにもかかわらず、です。

文化庁の役割は、多様な形態の文化芸能を振興することでしょう。その長官が40年以上前のポピュラー音楽という特定分野での経験と価値観を、いまの時代状況と照会・更新せず披瀝することに、強い違和感をおぼえます。

都倉いわく「デジタルエイジになって、子どもたちは“ナマの刺身”を食べたことがない。みんな冷凍だ」と。ナマの刺身とは、都倉によれば生演奏・生歌唱による音楽だということになるんだそう。コンピューターで製作した音楽は冷凍ものに喩えられています。

たしかに都倉がメガ・ヒット曲を連発していた1970年代には、まだデジタル技術を応用したりエレクトロニクスを駆使した音楽づくりはされていなかったでしょう。曲を書くという行為は、ピアノでも(ギターでも)弾きながらイチから頭のなかでメロディを考えていき、それを譜面かなにかに記していく作業で、完成したのものを生演奏のフル・オーケストラで具現化する、といった方式だったと思います。

そういったやりかたで時代を築き、日本歌謡史に大きな名を残す偉大な作曲家となった都倉には、だからそれゆえの誇りがあるはず。みずからヒット曲を連発してきたその方法論にこだわりだってあると思います。がしかし、いつまでもそこに固執して2020年代的な価値観を無視したままなのは、いまの時代の文化庁長官にふさわしくない見識でしょう。

これが全盛期を過ぎたただのいち老作曲家の妄言だとか、おじいちゃんの回顧的言説だとかだったならだれも相手にしないだろうと思うんです。ですが、いまの都倉は文化庁長官という役職にありますからね。これだけコンピューターを用いた音楽づくりがさかんな現代におおやけの仕事をする、税金の分配を考える立場にある以上、認識を時代にあわせて刷新していかなくちゃいけないんじゃないですか。

「コンピュータを通してでは絶対に心は伝わらない」と上記記事で都倉は断言していますが、いまどきこれだけ血肉の通った肉体派のエレクトロ・サウンドが生み出されているんです。都倉は耳にしたことすらないんでしょうか?レコーディング・スタジオにだって導入されているし、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステイション)ソフトだって駆使されているというのに。

(written 2021.5.4)

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