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言葉って偉大だ。

ヘッダ画像は幼き日のワタシと敬愛する母上様。

とうも、お久しぶり、マザコン久嗣です。

言葉は偉大。
これは幼い時にはピンとこなかったけど、年齢を追うごとにしみじみ実感&吐いた言葉がブーメランのように返ってくるという経験に基づいた実話である。

なんちゃってw

ちょっと照れ臭い書き方したのでおちゃらけてみただけなんですごめんなさいm(_ _)m

言葉についての訓示的なものはよく聞きますよね。
嘘をつくと口が腐るとか、悪態ばっかりついてると口がひん曲がるとか。

情けは人のためならず。って言葉もね、人に優しくすると回りめぐって自分に返ってくるんだよ、っていう本当の意味が浸透されつつありますが、それって自分が相手に対して優しい言葉をかければ優しい言葉が、傷つく言葉をかければ傷つく言葉が返ってくるんだと思います。

よく、相手の立場になってものを考えたり口に出したりしなさい。って言うじゃないですか。
自分が言われて嬉しい言葉は相手だって嬉しい。
そう考えて落ち着いて言葉を選ぶようになってからどれくらい経ったのかな。
幼い時の私は暴君で喧嘩腰で思ったことがうまく口にできなくて3つ違いの妹とよくつかみあいのケンカしてた。
うまく言い返したいのにできなくて、悔しくて妹の腕を噛んだりしてたらオオカミとか言われてた頃もあった。

今思えば私は長女で優遇されてたんだけど、当時は妹の方が両親に愛されてるってしか思えなくて、愛されてる妹も憎らしくてひいきしてる親に懐疑的で、きっと私は家族じゃないんだ、よく橋の下で拾ってきたってあれきっと私の事だ。

なんて半分くらい真剣に思ってました。

母親にそっくりの顔して何言ってんだコイツって今なら笑い飛ばしちゃうくらいなんですけどね。
当時は感情が暴走しまくって、しかも内弁慶というめんどくさい子供で、よくうちの母親は私を見捨てなかったよな、私なら早いうちに見限ってる、たぶん。

ちなみにふたり姉妹だった妹も同じこと考えてたよって母親の葬儀から何度か想い出語りした時に明かされて、ふたりで同じこと考えてたのね!って笑ってしまった。

あ、お互い社会人になってからはいい姉妹関係です。
お互いに結婚して別の家庭持ってるけど今も交流あるし電話するとついつい長くなる(笑)


って話を戻そうか。
いつの間に脱線したんやろ(無自覚w)

学生時代。
小中学生時代の私は勉強ダメ運動ダメなダメ山ダメ子さん。
ダメダメな中で国語だけが好きでテスト返却が楽しみな唯一の教科。
100点とったことのあるのもこの教科。

ちなみに算数で0点をとったことも一度だけある。今では笑い話。

ほぼ自業自得なんだが勉強できない、うまく喋れない、忘れ物は毎日、宿題も忘れてしまう、、、ここまで書いて私は発達障がいだったのかな?って思ったけど今平和に過ごせてるから治ったのかもしれない。

まあそんな問題視だったからイジメられてた。
ちょうどタチの悪い陰湿なイジメになる前の頃だったけど、ネガティブな性格が災いしてかなりおかしな精神状態だったと思う。
ちゃんと思い出すのはトラウマを掘り起こしちゃうからやらないけどね。
掘り起こしてとんでもないものが出てきても対処できないから隠したものは隠したまま。

イジメの種類のなかでも言葉によるイジメが主だったかな。
子供心というか思春期真っ只中の私には小さなトゲがエクスカリバーになってグサグサ刺さってた。

さんざんに傷つけられた小中時代。

だから私は絶対に誰かを傷つけるような言葉は言わないと心に誓った。
時々ポロっと口にしちゃって慌てて謝るんだけど、いくら謝っても一度口に出したものは取り返しがつかないことも知った。

何より自分がその言葉を言ったことで相手を傷つけてしまったって罪悪感をいつまでも引きずってて、自分の性格の悪さが露呈したことも、かつてのいじめっこと同じようになってしまった自分が許せなかった。

年齢を経るごとにそれは少なくなってきたんだけど、思い切り自分が反省大反省する出来事があった。

長男の出産だ。

結婚して妊娠して母親になるのに相変わらず私は母親からの言葉を「お小言」にしか思えなくてもう大人なのにうるさいなあとか罰当たりなこと考えてたのね。

それがさ、長男産んだ時、予定日より5日過ぎても陣痛来なくてね。
結局6日目に朝から入院して陣痛促進剤打ちながらの分娩。
まあ、痛いのなんの。
あれは本気で死ぬって思ったわまじまじ。

自然にくる陣痛とは全然モノが違う。
その上で午前中頑張って出ないからお昼食べてまた午後からフンヌ!!!!って頑張って夕方にやっと出てきてくれたんだけど、体感は2日くらいだった。

産んですぐは意識もーろー喋るのもできなくて、でもちゃんと産めたのが嬉しくてべそべそ泣きながらおまた縫われてた(笑)

退院して実家帰って少し落ち着いた頃だったかな。

めっちゃ痛かった記憶がまだまだ居残ってて、その時思い出したのね。
お母さんが私と妹を産んだ時の話。
私たちを産んだあと、なかなか出血が止まらなくて昔の防火バケツの半分以上もあったらしくて看護婦さん(当時)が気づいてくれなかったら出血多量で亡くなってたかもってエピソード。
何度か聞いてたんだけど実感なかったのが、自分が出産を経験して初めてその壮絶さを知ったのよ。

私は出血量も普通で危ないこともなくて、でもあんなに痛かったのに、お母さんはもっとすごい思いして産んでくれたんだって思ったら涙止まんなくてね。

あんな大変な思いして産んでくれたのに、反発ばっかりしてひどいこと言ってごめんなさいって告白して謝ったらさ、お母さんも泣くわけよ。

ぎゅーって抱きしめられて、あー、私は愛されてるんだなあって改めて思い知った。

そこから、今まで以上に言葉に気をつけるようになった。
私の素直な言葉で嬉し泣きして感動してふたりで抱きあって泣いたことで、素直に愛してるとかありがとうって言葉がどれだけ大切で偉大で素晴らしい言葉なのかを実感したから。

ちゃんねるのまとめとかでよくあるイヤミやイジワルを言うエピソードは反面教師だし、一度悪口言おうとしてひとりごとみたいに呟いてみたけど口の中がめちゃくちゃ気持ち悪かった。

だから余計に自分を律する心構えが確固としたものになったと思う。


この記事で書いた言葉に関する訓示的なものは全部亡き母から教わったもの。

これからも忘れずに謙虚に穏やかに生きていきたいなあと思う久嗣なのでした。

おわり。


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