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3月16日。大川功「新しい産業には、必ず『予兆』が「あるという。その『予兆』をのがさずにとらえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は『時流』という恩恵を与え、そして、『使命』という社会的責任を負わせるのだと思う。私の人生は、それに尽きる」

大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - 2001年3月16日)は、日本の実業家。

病臥8年で社会復帰は29歳から。負けけ犬が勝つには「のれん」のない未成熟の分野で勝負するしかない。コンピュータサービス株式会社を設立。一世一代の勝負をかける。43歳だった。後に頭文字をとってCSKとなる。

一流を目指すやり方。誰でも知っている住友生命淀屋橋ビルで創業。1982年、東京の証券市場で上場。自宅は成城に構える。以後、日本の情報産業をけん引する。1985年に売上1000億円を目指すと宣言した翌年には、60歳で「2001年、CSKグループ1兆円の実現」を公言した。

以下、大川功語録。

「人間は別れ際が大事」「会社は人でできている」「ビジョンを掲げ、公言する。見る情報すべてが体に飛び込んでくる。全身が神経になる」「お金というものはいつでも使えるように準備しておくべきで、明日にでも動員できる形にしておかなければならない。社員一年分の給料、現金は必ず持っていなくてはいけない」「不動産は絶対に手を出してはダメだ」。

1990年代初めのバブル崩壊後にCSKは業績が悪化。「大型コンピュータからパソコンへの時代の変化を見落としてしていた」と反省の弁を述べた。CSKグループの稼ぎ頭セガのセガサターンはソニーのプレイステーションに押されて苦戦を強いられる。「ソフトの開発環境を誰もが参加しやすいオープンなものにしなかった。これが戦略の誤りだった」と分析、反省をしている。この率直さも素晴らしい。

2001年の大川の死去後、安定期に入ったとみえたが、不動産投資事業への資本集中が、サブプライムローンの破綻、リーマンショックなどの影響を受けてCSKは窮地に立った。「不動産は絶対に手を出してはダメだ」と強く語っていた大川の戒めを後継者たちは守れず、2011年10月1日に住商情報システムに吸収合併された。死後、大川の遺志に基づきベンチャー企業の振興発展を行う「一般財団法人 大川ドリーム基金」が2011年に設立されている。

並外れたメモマ魔であり、寝る前に読み返すという習慣を持っていた大川功は、1983年には「ネットワーク」「人工知能」「データベース」が高度情報化社会に向けての三種の神器であり、最終はデータベースの時代になると予見し、問題は人材がいないことだと語っていた。また1990年代初めには「これからの方向性がこれからの10年で決まってしまうと予感している。当然、情報産業の勝負も、それでに決してしまう」と述べている。現在のアメリカのGAFAの台頭や、中国のアリババ、テンセントの全盛をみると、大川功の予感は的中している。

「予兆、時流、使命」という冒頭の大川功は、「時代を読み、ニーズを読み、個々の相手を読み、こちらの強みを精一杯ぶつけて汗をかいて、という苦労があってこそのお金儲けだというのが私の信条である」との言葉通り、一代で大企業をつくった。そして「儲けたお金は自分の存命中にすべて使い切りたい」との言葉どおり、阪神大震災時の匿名の寄付、野茂などアスリートへの援助、若手起業家への援助などに巨額の私費を投じている。『大川功 人間の魅力』という本のとおり、この人には大いなる魅力がある。 この本には、立教大学時代の野田一夫、アスキーの西和彦など私にも縁の深い方々の名前も載っている。

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