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9月22日。 前川春雄「奴雁の哲学」

前川 春雄(まえかわ はるお、1911年2月6日 - 1989年9月22日)は東京都出身の第24代日本銀行総裁。6つ上の兄は有名な建築家前川國男。

1979年に森永貞一郎の後を受け、第24代日本銀行総裁に就任。イラン革命の影響による第二次石油ショックの狂乱物価のインフレ下、就任2ヶ月後の予算審議中の公定歩合引き上げを断行し、その後も数回にわたり引き上げ金融引き締めで乗り越えた。その後、日本経済はインフレなき成長路線を歩むことになり、内外の高い評価によって名総裁と呼ばれた。

日銀退任後の1985年には、日米貿易摩擦をめぐり、経済構造調整研究会の座長として「内需拡大市場開放」を主眼とする報告書(前川リポート)を取りまとめた。日本はその後、前川のレポートに沿って、規制緩和・対外開放を推進することになる。

前川春雄は日銀は「奴雁」(どがん)であるべきと考えていた。奴雁とは、季節の陰陽の変化にともなって往来する渡り鳥である雁の中に、夜、砂州で休んで雁仲間たちが餌を啄んでいるときに群れの周囲で人や獣の接近を見張っている役目の雁がいて、不意の難に備えて周囲に注意を払っていることに因んだ言葉だ。

「学者は国の奴雁なり」と言ったといわれる福沢諭吉の言を前川は参考にしていた。リスクに絶えず注意を怠らない心配性であるべき組織が日銀のあり方なのだと、日銀の内部に向かって常に語っていたのである。前川春雄の伝記に『『前川春雄「奴雁」の哲学』』(浪川攻)がある。

全員が一つの方向を向いているとき、集団に危機が襲う。まったく違う方向に目を向けている人がいる集団は、全方位を睨んでいるから、しぶとく生き残る可能性が多くなる。その奴雁の人は、風向きが変わると、リーダーになる場合もでてくる。「奴雁」になろうとする精神を忘れてはならない。


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