2月6日。渡辺和博「主張と収入の和は一定である」

渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 - 2007年2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイストである。

1968年に広島から上京しカメラマンを目指し東京綜合写真専門学校に入学し中退。1972年、現代思潮社美学校に入り赤瀬川原平に師事。1975年、美学校の先輩・南伸坊の誘いで青林社に入社し伝説的漫画誌「ガロ」の編集者となり、面白主義を打ち出し、編集長もつとめる。

1984年、著書『金塊巻(キンコンカン)』がベストセラーになる。「「マル金」、「マルビ」で第1回流行語大賞にも輝いた、「現代の奇書」。31の人気職業(コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”)を徹底的に観察し、楽しく調査研究します!ニッポンがバブルに浮かれ、ひたすら消費を拡大していったあの時代、市井のさまざまな職業の人々を「マル金、マルビ」として分析し、鮮やかに時代をきりとってみせた」。渡辺和博はこの代表作で1980年代を代表し記憶された。

2003年、肝臓癌の闘病記録を『キン・コン・ガン!--ガンの告知を受けてのくは初期化された』として刊行。鋭い観察眼で、医師、看護師、患者、そして自身の手術についても鋭い観察眼で描写し話題になった。「自分の体の中にはフェラーリ1台が入っている」は、夫人の生体移植など高額な費用とともに家族の苦労があったことをいっていた。これは葬儀で赤瀬川原平が弔辞で述べた言葉だ。バイクマニア、車雑誌の連載者らしいたとえである。

生涯にわたって感性は若く「おたく世代」の前触れのような人だった。「ユルい若者」などで使う「ユルい」は渡辺の造語らしい。

34才で華々しく世に出て56才で夭折した人なので、同世代の私もこの人には興味がある。「主張と収入の和は一定である」は、コツコツ働いてある程度の高収入を得るか、言いたいことを言って低収入に甘んじるか、という選択を迫る言葉のように聞こえる。宮仕えの一面をえぐった言葉であり一理はあるが、グラデーションが濃くなるように自己主張をしだいに強めながら組織の階段をのぼっていく中間的なやり方もある。階段をのぼると制約が増すのではない。収入も増すが、それ以上に自由(主張)が拡大するのである。この妙味を渡辺は知っていたかどうか。

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