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1月18日。中村梅之助「自分で探せ」

四代目 中村梅之助(よだいめ なかむら うめのすけ、1930年2月18日 - 2016年1月18日)は、東京生まれの俳優・歌舞伎役者。

「劇団前進座」の創立メンバーであった3代中村翫右衛門の長男。8歳の初舞台で4代中村梅之助を名のる。父や5代河原崎国太郎没後は6代嵐芳三郎とならんで劇団前進座の中心として活躍する。テレビ『遠山の金さん捕物帳』の名奉行・遠山金四郎の初代金さん役で人気を博す。胸のすく啖呵や颯爽とした名奉行ぶりは歌舞伎の素養があって初めて生またものだ。歌舞伎と現代劇の両方に取り組む前進座を率いての演劇活動で平成20年朝日舞台芸術賞特別賞を受賞した。

『伝七捕物帳』(脚本は池田一郎、後の隆慶一郎)、大河ドラマ『花神』(司馬遼太郎原作)では周防の村医者から、倒幕司令官に、明治新政府の兵部大輔にまで登りつめた日本近代軍制の創始者・大村益次郎(村田蔵六)を演じた。花神とは人知れず野山に花を咲かせて去る神のことで、栄光を待たずに去ったヒーローを暗示している。同じく赤穂浪士の討ち入りを軸に元禄時代の人間たちを描いた『峠の群像』(堺屋太一原作)では近松門左衛門役だった。梅之助はテレビの時代劇ドラマでもお茶の間の人気者で、私も楽しませてもらった。

「どんな役でも「真実」が基礎。観客を信頼する。脚本を信頼し、相手の言葉を初めて聞く」

NHKアーカイブ『あの人に会いたい』では、「芸道は一代にしてならず」と言い、その後に「なぞってなぞってなぞりなさい。ある年代になったらきっとあなたのものが生まれる」という言葉を語っている。翫右衛門から受け継いだ芸の道は梅之助から息子・中村梅雀に受け継がれている。

「自分で探せ」という言葉の奥には、「(芸は)自分で探し出せということ。うちには『教えない教え』という家訓」があった。「そっくり」と言われながら役になりきっていきながら自分独自の芸を探し続けているうちに、やがて自分自身になっていくこという意味であろう。

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