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9月18日。立川孟美「人さまと恩ある御縁を得て、その都度いただく仕事をとにかく誠実にやろうとだけ思い、歩いて来たと思う」

立川孟美(1915年7月12日〜1997年9月18日)は、立川ブラインド工業創業者。

1938年、(有)立川工業所を創業。1947年、株式会社に改組し、立川ブラインド工業株式会社と社名を改称する。1964年 - 家庭用の間仕切り「アコーディオンカーテン」新発売。1982年6月 - 店頭市場(ジャスダック)に株式公開。1987年10月 - 東証2部上場。2015年7月 - 東証1部に指定替え。「建築物内外の生活環境の改善による社会貢献」を経営の基本方針として、「より快適な居住空間づくり」のためにお客様の満足と厚い信頼を得られる製品開発を目指してきた

家庭、業務用のブラインドや天窓、ファブリック製品などを製造するメーカー。ブラインド最大手であり、アイテム数が多い。他には天窓、傾斜窓やロールスクリーンやラインドレープ、バーチカルブラインドなどのファブリック製品、アコーデオンカーテンなどの間仕切り、住宅用オーニング、カーテンレールなどを扱うが、採光、遮光という用途を持った商品に特化しているのが特徴である。多品種・短納期のオーダー生産にこだわりを持つ。

2017年度現在。売上高は、連結 401億577万円。業員数は、連結1168人。立川孟美は、1987年の東証2部上場までは存命。

冒頭の言葉に以下が続く。「それが良かったといえば、そういう事になる。強いて特筆に価する事は、私が一切の投機的な匂いの強い仕事には手を出さなかったことだろう。投機的行為は、父親の失敗でこりていた。地味でいい、着実な、汗を流せば成果が得られる仕事だけを手がけて来たという自負がある。私は、ブラインド以外は何も知らない。成功の秘密と問われれば、「ブラインド一筋だったから」としか答えようがない」。

立川孟美は、投機のような運に頼らず、人の縁を大事にして、汗をかきながら小さな仕事を誠実に仕上げ成果を積みあ上げていった。「ブラインド」という一つのテーマを真摯に追い続けた人の姿がみえる。

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