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3月14日。 スティーヴン・ホーキング「障害者は自分の欠陥に邪魔されない仕事に打ち込めばいい。できないことを悔やむにはおよばない」

スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(英: Stephen William Hawking、1942年1月8日 - 2018年3月14日[1][2])は、イギリスの理論物理学者である。

ホーキングが生まれた1月8日はガリレオの没後300年にあたる。少年時代、成績はさほどふるわなかったが、アインシュタインというあだなをつけられていた。後の活躍を予見させる逸話だ。

オックスフォード大学に入学して3年、21歳で厄介な病にかかる。ALS(筋萎縮性側索硬化症)である。若いまま死んでしまう可能性を突きつけられたホーキングは、退屈な人生から意味のある人生を送りたいと思う。大学院はケンブリッジで学ぶ。婚約者があらわれ、カレッジの特別研究員になる。このころ、すでに手が不自由で字もかけず、タイプも打てなくなっていた。

1965結婚。1966年のアダムズ賞を受賞。1974年、駆け出しの研究助手の身分で学士院賞。3年後には教授に昇進。30代後半の1979年ニュートンが占めたルーカス記念講座数学教授になる。私が20代後半でロンドンに駐在してた頃だ。ろれつが回らないようになったホーキングはイコライザーというプログラムのおかげで対話が可能になって精力的に仕事をしている。

1982年に思い立った一般読者向けの『時間小史』(邦題は「ホーキング、宇宙を語る」)は、世界中1000万部を超た大ベストセラーになった。日本では110万部。その後、宇宙、未来、宇宙と人間などをテーマとした科学解説の本を書て人々を啓蒙した。

妻とは離婚し、1995年に命の恩人である看護師のエレインと再婚。2007年には再度離婚。

今回読んだ 『ホーキング、自らを語る』では、理論物理学、ブラクホール、時間旅行なども説明している。「科学分野では、問題を正しく指定することが、すなわち解明の鍵である」と語るなど、ALS 発症から50年以上にわたり研究活動を続けた。晩年は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、スピーチや会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用していた。その姿は世界中の人が記憶しているだろう。

ホーキングは世界中を旅しており、日本にも6度訪れている。2012年のロンドンオリンピックでは、アンカーも務めた。 ホーキング博士は、自分の欠陥に邪魔されない仕事に没頭した、勇気ある人である。

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