1月3日。三岸節子「絵を描くことは、長く果てしない孤独との戦いである」

三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は洋画家である。新制作協会会員。

この画家には一宮市三岸節子記念美術館があるが、夫の好太郎にも北海道立三岸好太郎美術館がある。夫婦揃って美術館がある画家夫婦も珍しい。好太郎美術館は札幌にあり訪れたことがある。立派な美術館だった。そのとき31才で亡くなった画家にこんな立派な美術館があることを不思議に感じた。この美術館は節子の62才の時に開館している。また節子自身の美術館は93才という亡くなる直前に開館している。節子は89才で女性画家としては初の文化功労者となった。好太郎は夭折しているが、妻の節子は94才まで画業を続けているというように対照的な人生だった。

64才「私の運命は好んで困難な道を歩む。、、なんというむずかしい世界か、しかししやり遂げねば。カーニュに死すともよし」

68才「もっともっと深く掘り下げて、根元の自己をつかみだしてもっと根の深い作品を描きたい。広野の一本の大木のように何百年も生き続け生命力が得たい」

72才「新鮮な、シャープな、先生な、ピリピリした花を描きたい、、、、痺れるような美しい花の絵を描いたい」

73才「私には才能がない。ただ努力と根と運があるだけで今日まで歩いてきた。、、才能である。才能の不足である」

92才「私は人物が描きたい。最後の仕事は人物とゆきたい。」92才

「家族近親の面倒を見てそれが満足だというのか、なんと味気ないことだろう」という三岸節子は、「世にい謂う安穏な暮らしというのが、私にとって一番の敵なのである。身を棄ててかかっているのである。」と語っている。

長く果てしない孤独との戦いを続けた画家・三岸節子の最後のテーマは「人物」であった。最後には風景よりも人間という不思議な存在に関心が向かうのだろうか。




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