2月24日。前畑秀子「練習中、泳いでいながらプールの中で汗が流れるのがわかった」

前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年(大正3年)5月20日 - 1995年(平成7年)2月24日)は、和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。

ロサンゼルスオリンピックの女子200m平泳ぎで銀メダルを取った後に、4年後のオリンピックに出ることになった時、 「1年365日を一日も休まずに練習しながら、ベルリンオリンピックまでの4年間を凄そう」決心している。

ベルリンオリンピックでは、名アナウンサー河西が、「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!、、、あと4メートル、3メートル、2メートル、あっ前畑リード、勝った!勝った!勝った!勝った!勝った!勝った!前畑が勝った!前畑が勝った!、、」」とライバルとの熱戦を放送して日本中が手に汗を握って応援した。ゴール後、前畑は負けたと思って全身の力が抜けてプールの底に沈み、ようやく引き上げてもらった。勝ったことは後で放送で知った。

ベルリンオリンピックの表彰式では、近代オリンピックの生みの親・クーベルタン男爵から「オメデトウ。ヨク、ヤリマシタネ」と声をかけられながら、桐の箱に入った金メダルをもらった。

水泳ができない状態にぶつかる都度、前畑の進む道を開いてくれた。女学校では三度の食事にご飯を食べるようになった。それまでは茶がゆだった。貧しかったので尋常小学校を終えたら家業のとうふ屋を手伝うことになっていた。小学校の校長先生、女学校の校長先生が、環境を整えてくれたのである。「人間は、どんなに苦しくとも、何かに打ち込んで努力することが、どんなに大事であるか、ということを教えてくださったのが、お二人の先生であり、父や母でした」

前畑は、 自分は天才ではなく、普通の少女であり、練習に練習を重ね、自分を鍛えたと語っている。冷たい水の中で汗が流れるのを感じる。フジヤマのトビウオ古橋が指の間に膜ができたと言っていたのを思い出す。水泳だけでなく、相撲でも野球でも名をなしたトップアスリートたちはみな「自分は天才ではない、努力型だ」というから、謙遜ではなく実際にそうなのだろう。


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久恒 啓一

久恒啓一の「名言との対話」(平成命日編)

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