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「名言との対話」6月5日。津村節子「女の人生はカンと決断かしら」

津村 節子(つむら せつこ、1928年(昭和3年)6月5日 - )は、日本の小説家。

福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年「長年にわたる作家としての業績」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。同年日本芸術院会員となる。2011年「異郷」で川端康成文学賞受賞]。ふるさと五部作に『炎の舞い』、『遅咲きの梅』、『白百合の崖』、『花がたみ』、『絹扇』がある。そうそうたる作品を書き続けてる作家である。

エッセイ集『人生のぬくもり』(河出書房新社)を読んだ。

「週刊人間国宝」の巻末エッセイ24回分をまとめた本『桜遍路』を新書版にしたものだ。「本書は2008年6月、河出書房新社より単行本『桜遍路』として刊行され、新書化にあたり改題の上、追記・加筆・訂正をしました」と記してある。文庫本、新書本、電子本などへの展開について、私も参考になった。

津村節子は父は織物業、母は呉服屋の娘という出自だ。備前焼の藤原啓、有田焼の今泉今右衛門。神成雫。加藤藤九郎。瀬戸内寂聴などの作家のことなどが書かれている。そして食器のことなどを記した女としての目線。故郷の福井にまつわる話題では、「明星」の歌人、山川登美子を書いた『白百合の崖』が目を引いた。鉄幹は白百合(登美子)、白萩(晶子)、白藤(中浜糸子)、白桃(林のぶ子)、白梅(増田雅子)、白菫(玉野花子)とみやび名をつけていたとは初めて知った。

小説家の夫・吉村昭の実像についての観察は興味深い。「飲む飲む飲む」人で、雑誌「酒」 (佐々木久子編集長)の文壇酒徒番付で東の横綱の地位にあった。学習院文芸部時代のデートは上野の帝室博物館ばかり。徹底的に歩く人。「事実そのものがドラマだ」。吉村は読書をしない。資料棚、書棚には、県史、市史、町史、地理、歴史、大日本古文書、民俗、風俗、医学、災害と犯罪の歴史、街道、江戸武家事典、維新史叢書、明治大正昭和の新聞収録、、。二人の師匠は丹羽文雄。「私にとって最も気持ちが安まるのは書斎」。克明な遺書「延命治療は望まない。家族葬。死顔は見せぬよう、、」。

津村節子の小説家としての言葉。長編『炎の舞い』(新潮社)を書くために、青森県の津軽焼きから沖縄の壺屋焼きまで50余の窯をめぐっている。「2001年に右眼の視力を著しく失う」。「出版を待つときの気持は、自分のやきものが窯から出る窯出しの日と同じであった。物を生み出す苦心と喜びは、何によらず共通したものであると知ったのである」

「同人雑誌作家で終わる人とプロになる人はどこが違うのか……。ひとつにはテーマの選び方でしょう。この人は何が書きたいのか、書けるのか。その書きたいことをどういう表現で書くのか。テーマを選ぶというのも才能のうちです」(インタビューに答えて)。

吉村昭から結婚を申し込まれて、「結婚したら小説が書けなくなる」と渋ったが、吉村からは小説家は何事も体験が必要だと言いくるめられた。結婚後も本当に書くとは思っていなかったらしいと書いているのも面白い。

2013年に荒川区日暮里図書館の「吉村昭コーナー」を訪ねたことがある。2017年にはゆいの森あらかわ吉村昭記念文学館(名誉館長は津村節子)が開館しているとも聞く。

津村節節子のエッセイを読んでいると、女の「カンと決断」は、正しかったようだと思った。吉村昭の作品は『三陸海岸大津波』『関東大震災』『海も暮れきる』『冬の鷹』『あかつきの旅人』『ポーツマスの旗』などずいぶんと読んできた。エッセイにあった歌を読んで、「明星」の歌人、山川登美子を書いた『白百合の崖』はぜひ読んでみたいと思った。


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