12月4日。本田靖春 「私には肝ガンという「記念メダル」がある」

本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年3月21日 - 2004年12月4日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。

1955年、読売新聞社に入社。 1964年、売血の実態を探った『黄色い血』追放キャンペーン」を行った。当時、輸血用の血液は血液銀行に90%以上依存していた。業者に1本(200cc)数百円で血を売るのは主に山谷などドヤ街で暮らす貧しい日雇い労働者だった。黄色い血とは極端に赤血球が薄い血液のことだ。こういったシステムで被輸血者の約5人に1人の確率で「血清肝炎」患者が出ていた。本田は自ら血液銀行に血を売りに行き売血産業の実態を取材したのだ。この「黄色い血」追放キャンペーンの影響もあり、1966年5月にミドリ十字が完全撤退を決め、日本の輸血は献血中心に移行する。日本報道史上に残る快挙であったが、一方で代償も大きかった。本田自身も後年、肝臓ガン(肝ガン)を発症してしまうのである。

ニューヨーク支局勤務ののち、1971年、退社。1984年、売春汚職事件で一時逮捕された立松和博記者を取り上げた『不当逮捕』で第6回講談社ノンフィクション賞受賞。主な作品に、吉展ちゃん事件を取材した『誘拐』(1977)、金嬉老事件を取材した『私戦』(1978)がある。綿密な取材には定評がある。

「より強く、より大きくならなければならないのは個々人であって、国家ではない。これは現代において、自明の理である。強大な国家権力の下で国民が完全支配を受けるとき、いかに多くの不幸が生み出されることか」。こういう思想で積み上げた全作28作品が電子書籍化されている。ノンフィクション作家では初めてだ。私も本田靖春という名前は知っていたが、何を書いたかは不覚にも知らなかった。

本田は肝ガンに続き、2000年に糖尿病のため両脚を切断、大腸癌も患い、同年から『月刊現代』で「我、拗ね者として生涯を閉ず」の連載を開始したのだが、46回で中絶した。「それでもいいかな、という思いがある。なぜなら、このガンは私が社会部記者をやっていた証のようなものだからである」。自身の肝ガンは社会派ジャーナリスト・本田靖春という仕事師の勲章というとらえ方だった。

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久恒 啓一

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