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「名言との対話」8月29日。イングリッド・バーグマン「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない」

イングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman, 1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。

アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞を受賞した、際立った美貌と知性を持つ世界最高の女優である。

1939年にスエーデンからアメリカに渡り、『別離』に出演しスターの道を歩いた。絵女優としては3つの時期に分けることができる。

ハリウッド時代(1939年 - 1949年):『別離』(1939年)。『カサブランカ』(1942年)。『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)。『ガス燈』(1944年)。 ヒッチコック映画。『ジャンヌ・ダーク』(1948年)。ヘミングウェイは「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切っている。21歳で結婚し娘を生んでいたバーグマンは映画監督のロッセリーニと不倫関係になる。

ロッセリーニとのイタリア時代(1949年 - 1957年):『ストロンボリ』など5本の映画に出演。離婚しロッセリーニと再婚、そして離婚。

後半生(1957年 - 1982年):『追想』(1956年)。『オリエント急行殺人事件』(1974年)。 『秋のソナタ』(1978年)。『ゴルダと呼ばれた女』(1982年)。3度目の結婚をするが、これも破綻。

5カ国語をあやつって舞台、映画、テレビで活躍し、3つのアカデミー賞など数多くの賞に輝いた名女優だった。いくうかの名画を私もみている。

イングリッド・バーグマン自身の言葉をピックアップしてみる。

「私は世界一内気だが、内には御されぬ獅子がいた」「私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけだ」「私は一度の人生で聖女から娼婦へ、そして聖女に戻った」。

「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない」とバーグマンはきっぱりと言う。女優という公人としては、どのような注文にもこたえる才能があり、果敢に挑戦していずれも成功している。「幸福の鍵は、健康と健忘である」というように、不倫スキャンダルで全米を騒がせたバーグマンは、過去のことは忘れて今を生きたのだろう。3度の結婚と離婚、そして後にカメラマンのロバート・キャパとも恋愛関係にあったと「自伝」であきらかにしているような奔放な私人としての生活も送っている。公人と私人の双方の生活と人生の土台にあった信条のとおりに生きた女性であると総括しよう。

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