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「名言との対話」7月12日。西竹一「We won.」

西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本陸軍軍人華族男爵)。最終階級陸軍大佐。愛称・通称はバロン西バロン・ニシ、Baron Nishi)。1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技金メダリスト

府立一中では小林秀雄迫水久常、陸軍幼年学校では辻政信と同期であった。華族だったこともあり、西は乗馬を好み、騎兵を選ぶ。そして陸軍士官学校を卒業する。

欧米出張中に西はイタリアで名馬・ウラヌス号と出会い、自費で購入する。1932年のロサンゼルスオリンピックでは馬術障害飛越競技で優勝し、金メダルを獲得する。今日まで馬術で日本人が獲得した唯一の金メダルである。

このとき、ウラヌスは自分から後足を横にねじって障害をクリヤした。この優勝インタビューで西が答えた言葉が「We won」である。Weとは自分とウラヌスを意味していた。この言葉は人々に感銘を与えた。

175Cm の長身で美男であった西はバロン西(男爵)と呼ばれ、欧米の社交界アメリカで排斥にあっていた日系人だけでなく、欧米人の間でも人気を集めた。西はロサンゼルスの名誉市民にもなっている。

戦車に転向した西は満州の戦車連隊の連隊長から硫黄島に向かう途中で乗船が撃沈され、一時東京に戻った。この時に、馬事公苑で余生を送っていたウラヌスに会いにいく。このときウラヌスは西の足音を聞いて狂喜し、首をすり寄せて、愛咬をしてきた。生前の西は「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」とも語っていた。

『帝国陸海軍 軍人列伝』(マイウェイ出版)を読んだ。栗林忠道中将率いる硫黄島では、西大佐はアメリカ軍の戦車を奪い反撃したり、アメリカへの手当てをしたなどの逸話がある。戦力でまさるアメリカ軍は「馬術バロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と連日呼びかけたが、西大佐は黙ってこれに応じなかったという証言もある。

クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」にも西は登場していおり、私もみたのだが、残念なことに私は気がつかなかった。

私(I)が勝ったのではではなく、私とウラヌスの我々(We)が勝ったと西は優勝インタビューで答えた。最高の舞台に立ったときの西竹一の言葉が、西伝説を生んだのだ。


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