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12月16日。 桂信子「表現は平明に、内容は深く」

桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、大阪市出身の俳人。

1938年、女性のエロスを主題とした句や無季俳句で新興俳句運動を主導した日野草城主宰の『 旗艦』」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、夫が喘息の発作のため急逝。 1949年、草城主宰の『青玄』創刊に参加。1954年、細見綾子、加藤知世子らと「女性俳句会」を創立、1970年、『草苑』を創刊、主宰。

2010年、財団法人柿衞文庫によって桂信子賞が創設された。俳句に功績のあった女性俳人に授与される。 「俳句創作に加え、地道な研究活動を怠らなかった女性俳人・桂信子を顕彰し、女性俳人の活動のさらなる発展を願って、柿衛文庫が創設した賞」だ。第1回受賞者は「日本列島桜花巡礼」を発心し、30年かけて全国の桜を巡り「桜」の俳人としても知られる黒田杏子だ。黒田はテレビ「クレパト」では、俳句ブームを起こした夏井いつきが尊敬する俳人である。

りんご掌にこの情念を如何にせむ  紫蘇しげるなかを女のはかりごと

窓の雪女体にて湯をあふれしむ   賀状うづたかしかのひとよりは来ず

外套のなかの生ま身が水をのむ   ゆるやかに着てひとと逢ふほたるの夜

27歳で寡婦となり、以後会社員として自活する。苗字は嫁ぎ先の桂を名乗ったままだ。56歳の定年で辞めて、自ら主宰する『草苑』を創刊する。それから34年の歳月があり、寡婦としての喜怒哀楽を詩情ゆたかに詠んだ。「夫を失い師が逝かれ、母が亡くなり続いて唯一人の兄が逝き、昨年末は長い間共に過した義姉も他界した。あとは俳句だけになった。俳句は自分のよみたいようによむしかない。(略)俳句は唯一私の心のよりどころである。私にとってそれ以外の何物でもない」。そういった心情を読んだ「父も夫も師もあらぬ世の寒椿」には心を動かされる。

1977年、第1回現代俳句協会賞受賞、『新緑』で現代俳句女流賞受賞。1992年、第8句集『樹影』で第26回蛇笏賞受賞。同年第11回現代俳句協会大賞を受賞。2004年、第10句集『草影』で毎日芸術賞。

第4句集『新緑』以降の句集では自然をさりげなく視野においた句を多く収めるなど、平明な表現のなかにたたえられた滋味を感じさせる奥行きの深い作風となった。その成果は60代以降の、以上に掲げた数々の受賞に結実している。


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