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「名言との対話」4月21日。立石義雄「会社は創業家のものではない」

立石 義雄(たていし よしお、1939年昭和14年)11月1日 - 2傲岸)・すれいびっ集(卑屈な020年令和2年)4月21日)は、日本実業家

大阪市出身。立石電機創業者の立石一真の3男。同志社大学を卒業し、立石電機に入社。1987年に47歳で社長。1990年、社名を「オムロン」に変更。2003年に創業家以外の人物に社長を譲り会長。2007年、京都商工会議所会頭に就任し、2020年までその職にあった。

海外展開で社業を飛躍的させた。また駅の自動改札機、銀行のATMなどを開発普及させ、オムロンの「中興の祖」と称された。

創業者の立石一真は「大企業病」という名言を生んだ名経営者である。この人が生んでその後ずっと生きている名言がある。中小企業を立ち上げた立石は50歳を過ぎてから倒産寸前の企業の売り上げを1000倍にし、世界的大企業へと飛躍させた。

盤石にみえる大企業も案外もろい。その病を大企業と名付け、それを克服していった慧眼に敬服する。私も企業にいた時に立ち向かった相手はこの病だった。一つの言葉が多くの大企業の失敗の原因を鮮やかに示し、多くの経営者や管理者に影響を与えた。義雄は「大企業病」にかかることなくさらにオムロンを高みに導いたのだ。

「ものごと“できません”というな。どうすればできるかを工夫してみること」と言う立石一真は3割のリスクは飲み込んで決断を下していく。そして「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる」と言い、障害者事業など社会貢献事業も展開していった。人のために頑張ることが自分のためになるという人生哲学である。

息子の立石義雄は、新型コロナに感染して死亡した著名人の一人だ。以下、2020年3月から2021年4月まで新型コロナで亡くなった人を挙げてみる。それ以降は、情報はなかったが、新型コロナは多くの人の命を奪った。

志村けん(享年70)はザ・ドリフターズのタレント。岡江久美子(享年63)は女優。岡本行夫(享年74)は外交評論家。高田賢三(享年81)はファッションデザイナー。羽田雄一郎(享年53)は衆議院議員小野清子(享年85)は東京五輪体操のメダリスト。

立石義雄が亡くなったのは、志村けん岡江久美子の間の2020年4月だった。3月に京都商工会議所会頭を退任した直後だったから、おおそらく、関西、京都では話題になっただろう。

立石義雄は、「人の幸せをわが喜びとする」を信条とした、快活な笑い声で誰からも愛された。社名の変更を断行し、創業家以外の人物に社長を譲っている。そして京都を代表する企業へと発展させた功績があり、「中興の祖」と呼ばれている。その偉業によって、京都商工会議所の会頭に推され、13年という長期にわたって京都のために活動した。そして退任した直後に、あの新型コロナで亡くなっている。見事な生涯であった。


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