12月29日。朝比奈隆「ただ確かなことは、自分の中に燃料を持っていなければ、人の心を燃やすことはできない」

朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。

朝比奈隆は大阪フィルの母体を立ち上げ、54年間にわたって「オーケストラが治められたら、一国の首相がつとまる」といわれるほど難しい音楽総監督を続けた。この偉業は世界史に類がない。「俺は40年、オーケストラを食わせてきた」と豪語しただけのことはある。そして指揮者として「偉大なるアマチュア」と言われなが年m、圧年始のら、「指揮者はどれだけ客を入れられるかだ」として、海外17か国69のオーケストラ、200回近い客演指揮を重ねた。

「演奏は、姿勢ですよ。剣術で刀を構えただけで、「おぬしできるな」と。演奏家も、構えを見れば一目瞭然。弾かなくてもわかる」

「最初よければすべてよし、最後よければすべてよし」

「作品に忠実な演奏をすることしかないわけですよね。もし個性というものがでてくるとしたら、それを繰り返すところから自然に現れてくると思うのですが」

芸術不毛の地・関西で、財界人は「関響と文楽はつぶすな」を合言葉に、京都大学卒の朝比奈を援助した。その朝比奈は、毎年ベートーベンの「第9」で仕事納めをし、新春の仕事初めは毎年必ずドヴォルザーク『新世界より』を演奏した。

1979年 、 朝日賞受賞。1989年 、 文化功労者として顕彰。1994年 の 文化勲章受章は、山田耕作以来の音楽人の受賞だった。

遅い出発の朝比奈に、恩師メッテルは「一日でも長く生きて一回でも多く指揮をせよ」と語った。朝比奈は 「伝記もいらない。評論家の作曲家論もいらない」と言い、95歳まで演奏会を続けるともりであった。最後の言葉は「引退するには早すぎる」であった。歴史書を愛読し、塩野七生、井上靖をよく読み、統治や支配に関する記述には線を引いていた。若い指揮者の芽を容赦なく摘み取り、苦楽をともにした事務局長も切っている。後継者問題では「俺が死んだらどうなってもいいんだ」とまで発言している。大阪フィルには朝比奈だけが残った。

90歳以前にガンがあったのだが、直立不動の毅然とした姿勢には明治人の気骨と品格があった。「長生きこそ、最高の芸術である」と語った朝比奈隆は、晩年に絶頂を迎えた幸せな指揮者である。

朝比奈のいう自分の中の「燃料」とは、文学者などの表現者に存在するというデーモン(悪魔)だろう。

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久恒 啓一

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