「名言との対話」5月17日。横山隆一「忙しい時ほど遊ぶ。それが一番面白い」

横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は漫画家アニメーション作家。

高知市出身。1932年に若手漫画家を中心とした「新漫画派集団」を結成した。戦時中は陸軍報道班員としてジャワに向かう途中で船が沈没したが九死に一生を得る、1956年、アニメ制作の「おとぎプロダクション」を設立する。

代表作は「フクちゃん」である。1936年から始まった連載4コマ漫画『江戸っ子健ちゃん』の脇役だった、いがぐりアタマト角帽のバンカラのフクちゃんに人気が出て、1956年から毎日新聞でフクちゃんを主役にして連載が始まった。1971年の5534回まで35年間続いた。その後、映画、ラジオドラマ、テレビアニメ作品として楽しませた。

フク7ちゃんは早稲田大学のマスコットキャラクターにもなっている。横山は「フクちゃん」連載終了後は、児童文学の世界で活躍している。漫画家初の文功労者となった。2001年には高知市横山隆一記念まんが館がオープンしたが、残念なことに横山はその半年前に亡くなっている。

赤塚不二夫が語る64人のマンガ家たち』(立東社)を読んだ。手塚治から梶原一騎まで。石ノ森章太郎。藤子・F・不二夫。藤子不二夫A。園山俊二ちばてつや松本零士。さいとう・たかお。水木しげるつげ義春。水島慎二。楳図かずお白土三平矢口高雄永井豪里中満智子モンキー・パンチ馬場のぼる加藤芳郎やなせたかし弘兼憲史黒鉄ヒロシ小林よしのり梶原一騎。その中に横山隆一がいる。この本は、赤塚の目から見た漫画世界の人物誌であるが、この世界の奥の深さと幅の広さを教えてくれる楽しい本である。

文化功労者の祝賀パーティでは、仲間の漫画家たちが、「 米大統領閣下殿。 一金 一八〇円」という請求書を用意した。戦争末期、米軍が降伏勧告の宣伝ビラに『フクちゃん』の漫画を無断使用した。その原稿料を請求した。パーティーでは、米国を代表してマイヤーズ特別補佐官が、百八十円と大きな領収書を持って現れた。横山隆一は「これで私の戦後は終わりました、ありがとう」と言って、おもむろに領収書にサインしている。こういうエピソードを紹介している。赤塚は、147CMという低身長の横山は「可愛かった」と述懐している。

NHKテレビ「あの人に会いたい」では鈴木健二アナウンサーのインタビューに答えている。いたずらっ子で勝手気ままなエプロン姿のフクちゃんの連載は、実に35年間続いた。横山本人もなんでも遊びにしてしまう天才だった。蒐集癖があり、「トキワ荘の壁土」など偉人にまつわる珍品の収集をライフワークとしていたそうだ。他には川端康成の胆石、歴代警視総監の指紋、植村直己の足の豆、、。75歳の笑顔の横山は実に楽しそうだ。

その番組の中で、「忙しい時ほど遊ぶ。それが一番面白い」と語っている。締め切りに間に合うかどうかというスリルを楽しんでいたのではないか。その緊張感も遊びとして面白がっていた。そして亡くなる92歳まで遊びまくった。横山隆一は「遊びの精神」を持った天性のユーモリストだったのだ。それが、エネルギー源となって、作品に結実したのだ。代表作の「フクちゃん」は35年間の連載だった。一口に35年というが、それは横山の27歳から62歳までであったのだ。そのキャラクターは、ラジオやテレビのアニメなどでさらに生き延びていったから、一生の付き合となっている。こういう仕事をライフワークというのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?