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9月26日。ポール・ニューマン「成長できるのはひとりでいる時だけだ」

ポール・ニューマン(Paul Newman, 1925年1月26日 - 2008年9月26日)はアメリカ合衆国の俳優である。

3度のアカデミー賞受賞を初めとして数多くの受賞歴を持つ俳優だが、それにとどまらず、映画監督、食品製造会社「ニューマンズ・オウン」の設立者、レーサー、政治運動家としても活躍した人物である。

1945年に、空母・バンカーヒルに乗艦し沖縄戦に参加。 オハイオ大学、ケニヨン・カレッジ、イエール大学大学院に進学。演技が認められ、1952年にジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと共にアクターズ・スタジオに入学し、俳優として活躍を始める。主な作品は、『傷だらけの栄光』。『ハスラー』。『ハッド』。 明日に向って撃て!』。『スティング』。『タワーリング・インフェルノ』。『スクープ 悪意の不在』。『アパッチ砦・ブロンクス』。『評決』。『ハスラー2』。『ノーバディーズ・フール』。『ロード・トゥ・パーディション』、、、。世界的トップスターだ。私は『タワーリング・インフェルノ』、『評決』などでの演技が印象に残っている。

1960年代から1970年代にかけて反戦運動と公民権運動を展開。ウオーターゲート事件で押収されたニクソン大統領のメモではニューマンを敵としていた。ブッシュ大統領の富裕層減税にも批判的で「私のような富豪から税金を取らないのは馬鹿げている」と語ったている。

44歳にしてレーサーとしてプロフェショナルデビューを果たし、ル・マン24時間レースで総合2位という戦績を持つ。日本では日産自動社の6代目R30型スカイライン(1981年-1985年)のTVCMに出演している。レーサーとしての実績もあり、この広告は納得感を与えた。

1978年には、息子スコットが酒とドラッグに溺れ命を落としたことを契機として、麻薬撲滅運動の展開を決意し、「スコット・ニューマン基金」を設立している。

自家製のサラダを自慢していたニューマンは1982年、食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立し、世界規模での事業拡大に成功し、四半世紀に及ぶ運営で挙げた2億2000万ドルの純利益全額を貧困に喘ぐ子供たちに寄付している。

2007年、オハイオ州ガンビアの母校ケニヨン大学に対し、奨学基金の設立資金として1000万ドル(約10億円)の寄付。奨学金は家庭の事情で学費が払えない非白人のマイノリティーの学生らに支給された。

おしどり夫婦としても有名だったニューマンは、 「家でステーキを食べられるのに、わざわざ外でハンバーガーを食べる必要はないさ」とも言っている。さらに「夫婦が長続きする秘訣だって? それは、一緒にいる時間をなるべく少なくすることさ」とも語っている。

俳優、監督、レーサー、事業家、慈善家、政治運動家、と八面六臂の活動を生涯にわたって展開したポール・ニューマンは、超多忙であったはずだ。しかし、一人でいる時間を大切にしていたのだ。外に出ればたくさんの刺激を受ける、それを一人で反芻し、意味を探り、次の戦略を練っていく。華やかな外交と沈潜する孤独の意識的な往復運動がこの人物を大きくしたのであろう。

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