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「名言との対話」3月17日。船越英二「僕っていう男はたった一人の女性すら幸せにしてやることもできないダメな男なんだ」

船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月17日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、日本の俳優。

東京都生まれ。1941年(昭和16年)には専修大学経済学部に入学し1944年(昭和19年)に学徒出陣で繰り上げ卒業する。陸軍の見習士官として敗戦を迎えた。

1947年、大映ニューフェース2期生となり、映画『第二の抱擁』でヒロインの相手役に抜擢されデビュー。『野火』で主演をした際には、極限状況における敗残兵を演じきり、「キネマ旬報男優賞」「毎日映画コンクール男優主演賞」を受賞。『安宅家の人々』『破戒』『私は二歳』など、約200本の映画に出演した。

コメディから社会派まで幅広くこなし「からっ風野郎」「黒い十人の女」「破戒」「私は二歳」「黒の試走車」「女の一生」「盲獣」など約200本の映画に出演した。大映倒産後はテレビを中心に活躍した。

1989年に紫綬褒章、1995年に勲四等旭日小綬章を受章した。NHKでは、大河ドラマ『信長』、連続テレビ小説『雲のじゅうたん』ほかに出演している。

生没同日であった。誕生日に亡くなったという珍しい人だ。享年84。私の知っている限りでは、60歳の還暦を迎えたその日に亡くなった映画監督の小津安二郎、92歳の誕生日に亡くなった沖縄県知事であった太田昌秀などが思い浮かぶ。

船越英二は、大正12年3月生まれの私の父と同じで、同じ学徒出陣組だ。戦力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳(1944年10月以降は19歳)以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵を受けた。テレビで雨の神宮での学徒出陣の壮行会の映像をみるたびに、戦後に妻となった私の母がその姿をさがす短歌がある。「神宮外苑雨降る学徒出陣の映像に眼鏡の亡き夫探す」という短歌がある。もう一つは「大かたはつひに還らず出陣学徒雨中に栄誉ある演出みせて」だ。歌集「明日香風」に収録されている。どちらも母の歌集『明日香風』に収録されている。自分ではいかんともしがたい世代の悲しみをみる思いがする。

長男の俳優の船越英一郎(1960年生)は、俳優で司会者としても大活躍している。英二は、離婚歴があり子連れで年上の女優の松居一代との英一郎の結婚には猛反対した。松居が面会に来た時には、日本刀を抜いて英一郎に思いとどまらせようとしたそうだ。そして英二夫婦はそろっても結婚式に参列しなかった。息子夫婦は2006年には芸能界きってのおしどり夫婦としてパートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、世間を騒がせた騒動を経て2017年には調停離婚が成立している。

船越英二には、テレビでは「時間ですよ」、「熱中時代」の校長先生、「暴れん坊将軍」の孫兵衛役などで渋い演技をみせてもらった。最近、土曜日で毎週放映されているの「男はつらいよ」をみることがある。第15作「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」では、寅さんが青森で知り合った冴えない中年男・兵頭謙次郎役で出ていた。リリー(浅丘ルリ子)も加えた3人の旅は幸福感にあふれていた。

「僕っていう男はたった一人の女性すら幸せにしてやることもできないダメな男なんだ」は、船越本人の言葉ではない。この寅さんの番組の中での台詞だ。実際の船越は42歳あたりから湯河原で会員制旅館を営むなど堅実派だった。若い頃は「和製マルチェロ・マストロヤンニ」と呼ばれた二枚目だった船越英二は、年相応の演技ができる実力俳優だった。

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