1月25日。小林一三 「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ」

小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。

大阪急を一代で築いた小林一三と私は同じ日に生まれているから親しみを感じている。小林の場合は、1月3日生まれという単純な理由で一三という名前がついた。1月25日は命日。

阪急池田市にあるのは逸翁という茶人としての活動を示す逸翁美術館と、雅俗山荘と名付けて住んでいた自宅を使った小林一三記念館がある。小林は三井銀行で15年働き、退社した後に電鉄経営にまい進する。この美術館や記念館に掲げてある小林が遺した言葉には組織で働く人たちにとって膝を打つような言葉が多数ある。このような上司を持っていたらどんなに幸せだろう、と思わせるような言葉群である。「サラリーマンとして成功したければ、まずサラリーマン根性を捨てることだ」「金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である」。まさに言葉は人格の発露である。

どんな仕事を与えられてもくさることなく、その小さな分野の第一人者になることから始めよ、という意味のこの言葉には成功への叡智が込められていると共感する人は多いだろう。阪急電鉄の社員は電車の中で座席に座ることをゆるされなかったし、どのような係にいても「係が違うからわかならい」ということは通用しなかった。質問魔でもあった小林一三は教育者的資質に富んだ率先垂範型の名経営者だった。人材はたくさんいるわけではないから、どんな人間にもどしどし仕事をさせて、優れた人物に育て上げていくという小林の教育哲学の真髄がこの言葉にはある。

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