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「名言との対話」8月16日。曻地 三郎「降りかかってきた禍を『困った、困った』と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。それを、試錬と捉えて『来るなら来い』と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです」

曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年明治39年8月16日 - 2013年(平成25年)11月27日、旧姓:山本)は、日本の教育者教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。

北海道釧路市出身。6歳の時、父の故郷の山口県に転居。旧制岩国中学、1931年に広島師範を経て広島高等師範を卒業。1939年、広島文理科大学心理学科卒業。1949年、福岡教育大学(現)に着任し、1951年教授。1952年、九州大学医学部へ内地留学し、精神医学を学ぶ。

1954年、養護学校「しいのみ学園」を設立。1956年九大から医学博士の学位を取得。医学博士と文学博士の両学位は森鴎外以来。1980年、吉川英治文化賞。2005年以降、世界一周講演旅行を続ける。2011年、「公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者」にギネス世界記録に認定される。2013年、107歳で没。

この人の生涯の転機となったのは、長男の脳性小児まひに対応するために、50歳前に全財産を売って、筑紫平野に「しいのみ学園」を設立したことだ。日本財団の機関誌に94歳の時に寄稿した「しいのみ学園をつくって47年」という小論を読んだ。

「山野中に捨てられたしいのみも、これに温かい水と太陽の光を与えるならば、必ず芽を出してくれる」との決意が、学園の名前になった。「小集団活動療法」で重症心身障碍児がぐんぐんと芽を出していく。厚生省などからの妨害、そして心身障碍児には教育は必要ないする福岡県庁からの法律違反による取り消し処分を受ける。このとき、「自分の学んできた学問で打ち立てた理想を自分でつくった学園で実現していくのだ」として無許可で継続するという決断をする。官庁、法律との戦いの生涯であった。

94歳の時点で、卒業生は88人。4人が大学を卒業し一人は大学の講師になってゐる。8人が結婚。しいのみ学園は1969年に養護学校が義務教育制に」なり、就学までの通学施設になった。私は「しいのみ学園」のことは、新東宝映画「しいのみ学園」で知っている。

「しいのみ学園小使い」という仕事していた長男は、1976年に、三郎が70歳のときに39歳で死亡する。「お前の一生は、この椎の実だったね」と、「海見ゆる先祖の墓地に納むとき椎の実一ついれてやりたり」との歌を詠んでいる。

1996年、同志でありパーキンソン病であった妻・露子が86歳で他界。脳性麻痺だった次男・照彦は2002年に他界。2003年、しいのみ学園で言語治療に従事していた長女・邦子が58歳で他界。長く生きるということは、家族の死を見届けることにもなるという現実もある。

『ただいま100歳~今からでも遅くはない~』を読んだ。

10代 親の言うことを聞こう。20代 まず「やってみる」。良い配偶者を得る。30代 子育ての時代。親子で希望の星を求めよう。40代 最も花の咲く時期。勝負をせよ。50代 人災の最高の時。60代 飛躍の時。自分の学問・実績を広げよう。70代 70くらいで屈してはならない。自分を鍛えよう。80代 半分の40代のつもりで頑張ると気力が出てくる。90代 今からでも遅くはない。15歳の意欲でいよう。100歳 Go ahead! 前進、また前進。

曻地三郎の十大習慣健康法。①まず笑顔②冷水摩擦③棒体操④祈る⑤一口三十回噛む⑥ラジオ講座を聞く⑦新聞を読む⑧口八丁手八丁足八丁⑨日記を書く⑩背骨を伸ばして寝る

十大教育原理。1.活動の原理 揺さぶる。刺激を与えて反応させる。2.興味の原理 あら、何かしら、という興味を引き出す。3.許容の原理 叱らない教育4.賞賛の原理 褒めて伸ばす。5.自信の原理 達成の喜びを経験させる。6.予見の原理 先を見る。7.変化の原理 マンネリズムかを避ける。8.集中の原理 ここぞという時にはやり遂げさせる。9.共在の原理 先生と子供がいつも同じ空間にいる。10.体感の原理 スキンシップ。

「オシャレをしなくなった日から老いが始まる」。しいのみ学園の昇地三郎は奇抜な格好をしていたが、それは意識したアンチエイジングだったのだ。十大習慣健康法、十大教育原理など、この人の前向きの人生の言葉には励まされる人が多いだろう。

名言は「降りかかってきた禍を『困った、困った』と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。それを、試錬と捉えて『来るなら来い』と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです」を採ることにしよう。新老人の会で親交があり、105歳まで活躍した日野原重明は「歴史に残る、素晴らしい生涯だった」と述べている。

学びと行動の人だった曻地三郎は人生100年時代を先取りしたエネルギーにあふれた大人物であった。


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