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「名言との対話」1月31日。佐々木正「価値観が違うから、価値がある」

佐々木 正(ささき ただし、1915年大正4年5月12日 - 2018年〈平成30年〉1月31日)は、日本電子工学科学者 享年102。

島根県生まれ。京大工学部卒業後、神戸工業に入社。取締役を経て、シャープに入り、副社長となる。電卓の生みの親。液晶、太陽電池の開発に関わった「経営のわかる技術者」だ。 この人の名前はよく耳にしていたが、今回著書を読む機会を得ることができたのは嬉しいことだ。

太っ腹にして謙虚なリーダーだったシャープ創業者の早川徳次と養子の佐伯旭専務の絶妙なコンビ、そして佐々木の技術力でシャープの成長と黄金時代を築いていく。佐々木は「ロケット・ササキ」の異名を持っている。アメリカの技術者がつけたあだ名で、「戦闘機でも追いつけない」という意味で本人も気に入っていた。

佐々木正『生きる力 活かす力』 (かんき出版)を読んだ。2014年に数えで100歳を迎えたときに書いた本である。後輩たちにやさしく語ったという感じの本だが、内容は深い。以下、そのエッセンスをあげてみたい。

一人の俊英の「 独創力」には限りがある。複数の英知が集う「共創力」は無限だ。成果主義は秘密主義の横行を招く。オープンな共創意識が希薄になる。与えることで、次のものを得る。そこから何かが生まれてくる。特許は公開しロイヤリティを払ってもらえばいい。「価値観が違うから、価値がある」のだから、「共創」の思想でいこう。お互いの信頼関係を築き、お互いの思想を尊重し、そこから新しいものを共に創りあげる。そうすれば日本は必ず活性化できる。もともと日本人の心に根付いている思想だ。ハイテクは高齢社会の杖だ。介護ロボットと人が生きがいを共創する社会を創ろう。

自らの「人生行路設計」は20年単位で描いてきた。そうしたら100歳になってしまった。20歳までは「共鳴するもの探し」。40歳までは「戦後日本の復興優先」、60歳までは「先義後利」(日本式経営)、80歳までは「恩探し」をして80歳にして「あらためて恩を知る」。90歳にして「恩に報いる」。100歳までは「恩を感じながら、好きなことをやればいい」でやってきた。できれば120歳の「大還暦」まで生きられるといいな。20年単位の大きな節目で考え、どっしりと構えよう。

新技術や新製品の開発は、年齢とは関係ない。79歳で「国際基盤材料研究所」を設立した。仮説と情熱。「電卓は世界を変える」「液晶で壁掛けテレビを創る」も仮説。仮説とは「夢を描く」ことだ。その仮説を情熱をもって確かめていく。締め切りは2年がいい。1年では短すぎる。3年では長すぎる。それで技術開発、商品開発でもうまくいった。

「電卓」は左脳の代役。パソコンの登場で、人間はより創造的な仕事に打ち込めるようになった。脳は外界と隔絶され、情報を遮断されると、急速に退化していく。

若きスティーブ・ジョブス孫正義を支援している。両者とも「目力」が強かったと語っている。孫正義は「一番苦しい創業期を支えてくれた恩人」として、毎年主宰する「恩人の日」に招かれていた。

佐々木正が伝えたいことは、自分の役割に気づいて「いつも、現役!」で生きていく、「価値観が違うから、価値がある」、「自分を高める心を忘れない」である。それは「共創」の思想である。危機に瀕している日本への貴重なメッセージであると受け止めたい。

佐々木正の享年は102というセンテナリアンであった。あっぱれな生涯というほかはない。

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