6月13日。 浜田糸衛「孤独なひとたちを、いつも同伴者(みちづれ)として生きることが、人間の道をふみまちがえないですむ」

浜田糸衛(はまだいとえ。1907年7月26日-2010年6月13日)は、 童話作家、女性運動家。

高知県吾川郡生まれ。高知県立第一高等女学校卒、京都市立三条隣保館職員。読売新聞の懸賞小説に入選、小説『雌伏』を春秋社より刊行。上京し生田長江に師事。奥むめおのセツルメントで働く。戦後は日本女子勤労連盟委員長、平塚らいてうを支えて日本婦人団体連合会事務局長をつとめる。コペンハーゲンでの世界婦人退会に出席し、ソ連、東欧、中国を歴訪した。戦後初期の女性運動家の黎明期を生きた女性である。日中平和友好運動に一貫してかかわった。

浜田糸衛は「金の環の少年」「豚と紅玉」「あまとんさん」。「野に帰ったばら」という4編の童話を書いている。「あまとんさん」は、南国の太陽の下、生き生きと遊ぶ自然児あまとんさん。お転婆だが純粋な少女の生き方が、読者に潜む〈子どもの心〉を鮮やかに甦らせる。ほうかい屋、富山の薬売り、お遍路さん、飴売りなど、大正期の風物も楽しい童話だ。

「金の環の少年」を読んだ。 土手の下から数十羽のスズメが、右太におどろいて、パッ、パッとむこうの田んぼへとんでゆく。右太は、もうろうとした頭でスズメのあとを追っていた。つぎつぎとスズメは一群となってにげてゆく。(どれが、母ちゃんかな)(父ちゃんは太ってるんだべな)(左太兄ちゃんは、どこにいるんだべ)右太は自分がむちをふりもしないのに、スズメが申しあわせたようににげてゆくのを、ふしぎな目で見おくっていた。そこから物語は始まる。

第七章「山の火祭り」。「母さん!、、この世がよくなるように、善くしようと学び、つとめているおです。それは他人(ひと)のためばかりではなく、自分のためでもあるのです。、、、自分でできることの道を、誠をこめて歩いてゆくことです。、、、他人とは、つまるところ自分のことです」「母さん、生きているものを殺すことは、おれには、とてもつらくてできない。だから、人間が人間を殺す、戦争などしてはいけないのです、戦争は、まともな人間の心をくるわせます」

終章「新しい道」は、「孤独なひとたちを、いつも同伴者(みちづれ)として生きることが、人間の道をふみまちがえないですむ」という主人公の祖父の言葉で終わっている。この童話は、乱暴な少年だった主人公の成長と心をのぞく物語になっている。浜田糸衛の人生は、「人間の道」を追い続けた104年の崇高な生涯であった。

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