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「名言との対話」11月26日。野村かつ子「戦うところから何かが生まれる」

野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2010年8月21日)は、生活協同組合の組織など、消費者運動に取り組んだ日本社会運動家。享年99。

京都市西陣出身。同志社女子専門学校で学ぶ。在学中に結婚し、卒業後に二人の子をもうける。夫の野村治一葉1937年に亡くなってる。同志社大学では社会事業と倫理学を学び、賀川豊彦らの薫陶を受ける。1942年に卒業。

戦後に、日本生活協同組合、婦人有権者同盟に参加し、主婦連合会の創設にも参加して居る。1957年からは総評主婦の会で消費者運動を展開。1971年にはアメリカの消費者運動を牽引していたラルフ・ネーダーを招聘している。1975年、海外市民活動情報センターを設立。その後も一貫して消費者運動に関わりつづけた。

1990年に市川房江基金援助賞、1991年に東京弁護士会「人権賞」、1993年には韓国の「イルガ記念賞」を受賞している。

農業技術通信社のサイトの「農業ビジネス」に、宮崎隆典が「空腹時代の夢と満腹寺代の不安と」というコーナーで、野村かつ子のことを書いている。

戦後の空腹時代には「熱い重湯が腹にしみ、ありがたくもあり、情けなくもあり、涙が出ました」という言葉を紹介している。ハモニカ長屋と共同水場、そして衣類を売って一枚一枚皮をはぐ「タケノコ生活」を述懐している。こういった飢餓体験が消費者運動の原点にあった。

戦後はGHQへ押しかけ、食糧供給について何度も申し入れを行っている。この時、生活協同組合法の制定を示唆されて、それが生協の設立につながった。「戦うところから何かが生まれる」と野村は述べている。問題意識をもって、行動に移していくと、新しい視界が開けたり、解決のヒントが手に入ることがある。それが「何か」は事前にはわからないが、行動の後には、「何か」の像が結んでくる。その繰り返しの連続の人生だったのであろう。

野村かつ子は1999年、『消費者運動・88年の歩み』と題した自伝を発表している。当時は89歳であるが、その後も10年以上、99歳まで生きて、世界の食糧問題にも関与しているから、野村かつ子の生涯を総括すれば「消費者運動・99年」ということになるだろうか。人生10年時代を生きた先人である。

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