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テストステロンを知る/人類生命学(動物脳)

テストステロンとは男らしさを司どる男性ホルモンの一種です。
このテストステロンは女性でも分泌されるのですが、女性は男性の1/20〜1/10ほどの分泌量となっていて、男性と女性を決定づけるホルモンとなります。
男性の筋肉質な体格や骨格を形作るのもこのホルモンの影響だそうです。

note 宮下隼@元いじめられっ子のフリーランスエンジニア兼ラッパー

男性ホルモンと聞いて何を思い浮かべますか? 筋肉増強、体毛、声変わり、そして禿げ。男性ホルモンは、良くも悪くも「男らしさ」の活性化に重要な役割を果たしています。では、脳に対する影響はどのくらいあるのでしょうか? 巷では、「男脳」と「女脳」はどう違うのかといった議論も流行していますが、こうした話にホルモンはどの程度関係しているんでしょうか? 試しに、「男性ホルモンが濃そうな人」をイメージしてみてください。見た目はやっぱり、立派な筋肉、濃い体毛、低い声といった感じで、まさしく360度肉食系。では性格は? どうやら多くの人は、「攻撃的」と想像するようです。たしかに肉食獣は攻撃的ですからね。でも男らしい男性は、本当に攻撃的なんでしょうか? ただの迷信? それとも真実? 今回はそんな研究をご紹介します。

確かに男らしさと攻撃性には関係があるように思えます。男性が女性に比べて体のサイズが大きく、筋肉量も多いことは事実で、そうした特徴が、肉体的な戦いで有利に働くことは間違いないと思われます。戦争は古来より男性が中心になって行われてきましたし、そもそも人類史に戦争が絶えなかった理由は、男性中心の社会が続いてきたためだと主張する人たちもいるようです。

また、こうした見方は科学的にも一部支持されています。たとえば、男性ホルモンの代表にテストステロンという物質がありますが、これをネズミに投与すると、攻撃的行動が増えると言われ、また刑務所に服役している受刑者の唾液からテストステロンを測ってみると、軽犯罪で捕まった人たちよりも、殺人犯や強盗犯の方が濃度が高く、かつテストステロン濃度が高い人たちは、服役中に暴力事件をおこす確率が高かったという報告もあります。まさしく男性ホルモン肉食系仮説を支持するデータ、と言いたいところなのですが、実はこうした結果の一方で、予測どおりの成果が見られなかった研究も多いようで、真実はいまだにはっきりしていません。

ここでちょっと冷静に考えてみましょう。そもそも「男らしさ」って、本当に「攻撃的」とイコールでしょうか? 確かに場合によってはそうかもしれません。けれど、「男らしくあれ」という言葉は、別に「攻撃的になれ!」と言っているわけではなくて、むしろ「感情的にならない」とか、「逃げずに挑戦する」といった意味の方が強いのではないかと思われます。あるいは「男同士の友情」なんていう場合には、攻撃的どころか、長い間協力し、助け合う関係を指していますよね。どうやら肉食系仮説では説明できない「男らしさ」の要素があるようです。

2010-2-26  京都大学 こころの未来研究センター 「こころ学」

ポルノ動画などを見るとテストステロンが悪性テストホルモンのジヒドロテストステロンへと変化してしまいます。
ジヒドロテストステロンは薄毛の原因や体臭の悪化、体毛を濃くさせる効果があるそうです。
禁欲することでテストステロンを保つことができます。

note 宮下隼@元いじめられっ子のフリーランスエンジニア兼ラッパー

我々人間は、快楽を得ようとする生き物です。快楽とは、本当は、喜びのみ(セロトニンやエンドルフィンなど)から得ることができるのですが、ネガティブやストレスからの密かな快楽が簡単に取りやすいので、そちらを無意識に、そして優先に得ることをやっています。

ネガティブから密かな快楽を得るという驚くべきおかしな機能を持っているのは、脳の中の一部の動物脳(本能)です。その動物脳(本能)のエネルギー源のひとつが、テストステロンです。テストステロンは、例えば、命を脅かすこと(バンジージャンプ、危険な山登り、暴力をふるう喧嘩)で、一気に上昇するような機能を持つようです。上昇すると下降するときもあるのがこの世界のしくみであり、そのようなテストステロンの飼いならし方ではなく、常に必要最小限のテストステロンをキープしておくことが大事だという事を、まず知っておくことが必要だと思います。

テストステロンが、人類に大きな影響を与えている真実が下記です。


真実度999 『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著P256

好ましくない行動を引き起こす動機について考察してみるのも役に立ちます。そこにはたいてい怖れが潜んでいます。喪失の怖れ、支配に対する怖れ、欠陥や失敗、あるいは地位を失うことへの怖れなど、すべてそうです。また、衝動的な理由や、真偽を識別することのできないといった、行動するうえでの情報不足もあるでしょう。これらはすべて、いわゆる”人間の弱さ”に分類されるものです。仮説である道徳的観点から言えば、その”弱さ”に屈することはあるまじき行為です。しかし、意識が進化しても聖人になったり、健全な脳や優良な遺伝子が得られたりしない場合は、誰に責任があるのでしょうか?古い動物の脳で、生きるために貪る嗅脳(きゅうのう)でしょうか。それとも両親や社会、あるいは、パブロフの条件付けを行うメディアでしょうか。良識を持たずに生まれ、何をしても許されると思うような人々のDNAや遺伝子プールに責任があるのでしょうか。テストステロン(訳注:男性ホルモンの一種。第二次性徴の発現を促す。)は、数々の過ちを人生にもたらすので、真っ先に責められるべきでしょう。(去勢した男性は、普通の男性よりも九年以上長生きするという臨床実験もあります)。道徳の荒廃を招き、悪を増長させるメディアも然りです。

相互作用する要因の万華鏡の中で、一体わたしたちはどこに責任を追及すればいいのでしょうか?誰が責任を負って、自らの過ちを悔いて、嘆き悲しめばいいのでしょうか?行動ひとつを取ってみても、それを分解していくと、そこに決定要因は何ひとつ見いだせないことがわかりますし、表向きはその行動をとった”本人”さえも存在していないことがわかります。しかし、心(マインド)は次のように言うでしょう。これはすべて罪悪感を押し流すための合理化ではないのか?わたしたちはどこかで苦しんだり、悔んだりすることによって、よい人間になることができると信じているのです。

些細な行動ひとつに含まれる複雑な要因を見ても、唯一全知全能の神のみが裁くことができることがわかります。「汝、裁くなかれ」という霊的な格言もここから来ています。虚栄心こそが自我(エゴ)に、他者や自分を裁くことができると思わせているのです。

高い次元の真理を伝える文献の中に、神が罪悪感の影響を受けたり、それによって神の苦痛が和らぐと記しているものはひとつもありません。歴史上の聖人や賢者は、罪悪感の代わりに「罪」という言葉を使って、それが無知から生じるものだと述べています。彼らは、ある特定の行動は魂を不快な領域に落とし込む一方で、美徳の実践は死後、高次元の領域に導くと教えています。彼らは単に事実を述べているだけで、そこに脅かしたり、怖がらせたり意図はありません。

過去の過ちは慈悲と責任を伴って見なければなりません。それが唯一過ちを正す方法です。省みるときは、必ずその行動を起こした意図を確かめると同時に、罪悪感と後悔の違いを認識しなければなりません。後悔はたいてい、結果が望ましくなかった場合に起こるものです。本当の罪悪感は意図に対して生じますが、後悔は好ましくない結果に対して起こります。

人類生命学を学習することで、あなたの意識の中の愛と平和は具現化されます。是非とも、覗いてみてください。すべては無条件の愛の無償情報です。

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