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『戦争語彙集』オスタップ・スリヴィンスキー、ロバート キャンベル訳

オスタップ・スリヴィンスキー(ロバート キャンベル)『戦争語彙集』(岩波書店)

前半はウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーによる『戦争語彙集』の翻訳、後半はキャンベル氏が23年6月にウクライナに赴いた折の迫真のルポタージュ。

沼野充義『徹夜の塊3 世界文学論』(作品社)などで東欧における詩の重要性を知ったこともあり、オスタップ・スリヴィンスキーが拾いあげる戦争語彙が散文詩のように響きます。

とはいえ、けっしてレトリカルではなく、「むき出しの言葉」の持つ強さを否応なく感じる作品です。

ウクライナ語のアルファベット順に配列した項目は、日本の訳語では五十音順にはならない。その偶然の断片のつらなりが、予期せぬイメージの連関を喚起します。

語彙自体は、「スモモの木」「シャワー」「ナンバープレート」など、何ら戦争を思わせないものばかりなのに、その語彙にまつわる人々のエピソードによってイメージが完全に塗り替えられてしまう。日常語彙が戦争語彙として成立してしまう状況こそが、まさに日常を戦時下に変えた現実なのです。

たとえば「禁句」では、「爆ウケ」「爆上がり」「爆おこ」などの言葉が、もはや若者言葉として気軽に使えない禁句となってしまった状況(爆弾・爆発の「爆」がそんな気軽な言葉ではなくなった)を、短文でズバッと切りとります。

日本においてウクライナの報道に接するとき、プーチン、あるいはゼレンスキーという、立場は変われど大きな声、大きな物語によって図式化されてしまいます。しかし本書を読み、この市井の日常にまで否応なしに染みこんだ状況を、小さな人生の断片たるポリフォニーとして受けとるとき、場所は変われど、同じ市井の一市民であるぼくには、ようやく切実に実感できました。

訳や、ウクライナに赴いてのインタビューなど、当事者の言葉をどこまでも尊重しながらも、いま訳す意味、そして、いまウクライナに赴き当事者に会い、その肉声を紹介する意味にどこまでも自覚的な、キャンベル氏の確固たるメッセージを感じることでしょう。

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